=「荻窪風土記」は “鎮魂の書” と見つけた=
「荻窪風土記」を再読するうち・・、この書は井伏による旧友らへの
“鎮魂の書” ではないかとの思いに至った。
単行本にする際、「風土記」と題したことで紛らわしくなったように思うが、
その本質はあくまでも登場人物に対する井伏の想いであり、その多くは
かつて阿佐ヶ谷(将棋)会などに集った文学仲間や地元の飲み仲間である。
井伏83歳の執筆で、この時すでに大半の仲間は鬼籍の人になっている。
井伏よりも若い仲間たちが、一人、また一人と旅立っていたのである。
往時に思いを馳せるとき、井伏の胸に浮かんだのは
こうした仲間たちの若い笑顔だろう。
「あの日をありがとう
! 安らかに休んでおくれ・・」 の思いが
胸にこみ上げたのではないだろうか。
郷愁・感傷に流れることなく、文学者の矜持をもって筆を進めて
“鎮魂の書”
「豊多摩郡井荻村 17篇」(=荻窪風土記)が仕上がったと思えてならない。
=太宰治は、荻窪で、井伏の支えで “文士活動” に猛進した=
「荻窪風土記」に登場する人物名は400名に上るが、その中で最も多く載る
名前(ページ数)は断然に「太宰治」で、井伏と太宰の親交の深さが窺える。
井伏と太宰は師弟関係にあったと知る人は多いが、太宰は井伏が住む荻窪に移り住み、
作家として身を立てるため、荻窪で “文士活動” に猛進したことを知る人は少ないようだ。
杉並区が取り壊しを決めた太宰の旧居「碧雲荘」(井伏宅へ徒歩10分)は、
大分県由布院温泉に移築され、この4月(H29)には完成の運びと聞くが、
この機会に、「太宰治の荻窪時代」の概略を整理し「略年譜」の形まとめた。
太宰治の荻窪時代 = 波乱の「文士時代」 (井伏鱒二の支え)
既述の「太宰治の人生と文学」から、昭和8年~昭和13年を抜き出して
整理したのだが、井伏の支えがなければ、後の作家「太宰治」とその
作品は存在し得なかっただろう関係だったことが鮮明に見て取れる。
昭和文学史における重要な事実として記録し、記憶に残したいと思う。
H29(
2017).03.20 (春分の日)
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井伏鱒二の「盗作疑惑」を解明する をUP
長年気になっていたことで、ようやくUPしたが、あまりスッキリした気持になれない。
主要論者は、猪瀬直樹と相馬正一だが議論はかみ合っておらず、また、研究者ら
による関連の論述は、両者の見解を紹介する程度のもので歯切れが悪く、
このまま、うやむやで終わるような気がするからである。
猪瀬は、「ピカレスク 太宰治伝」 を刊行すると、谷沢永一(故人)と二人三脚のような形で、
独断的、感情的な激しい論調の井伏批判をしている。何か特別な事情があるのだろうか?
近年は、この問題を取り上げていないようだが、太宰の手帳の執筆メモが明らかに
なっているので、「井伏さんは悪人です」 の意味を解くためには触れないわけには
いかないだろうし、「山椒魚」 の種本についても論拠の詳細説明が欲しいところ。
来年(H30:2018)は、
井伏生誕120年、太宰没後70年、
研究者各位には、最新の見解、論考の発表をお願いしたい。
H29(
2017).10.01(日)
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太宰自筆の 「津軽図」 の??
何気なく「
著者自筆」と説明のある
「津軽図」 を見ていて気がついた。
ある文庫本は「三厩」が「三廊」、さらによく見ると「十三湖」が「十三浦」・・。
太宰がこんな間違いをするはずがないと思い、身近にあった文学アルバムや
図録類を当ってみたところ、これとは別に自筆とされる「津軽図」もあった。
戦後発行の「津軽」や全集所収の「津軽」、文学アルバムや図録・図説などを
できるだけ多く確認して、「
太宰治の人生と作品ー将棋会 第4期」 の項目中の
「津軽」 関連記述に、初出の図絵(太宰自筆)の載る刊行物を紹介した。
H30(
2018).2.11(日) 建国記念の日
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アクセスカウンター復活
本ページのURL変更(H28/11)時に削除を余儀なくされたアクセスカウンターを
復活した。1年数ヶ月の空白だったが、この間の数値は過去の平均値を算出し
それを加算して、新アクセス数「90000」から再スタートした。
新カウンターは、「トップページを開く毎に+1」の方式で、トップページから
一旦サイト内外の他ページに移動した後に戻った場合も加算される。
再設置に関しては、気になりながらも自力では手が付けられない状態だったが、
今回、思い立ってこの分野に長けた友人のMさんに助力を求めたところ、
詳しいマニュアルを作成して解りやすく説明してくれた。
帰宅後、直ぐにPCに向いその通り操作したところ、何事もなく無事完了。
友の親身な対応に心から感謝しているところ。
あわせて、フリーソフトを公開くださっている方にお礼申し上げます。
ありがとうございました。
H30(
2018).4.22(日)
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「太宰治の死 : 玉川上水心中の要因」 をUP
太宰治の玉川上水心中については、さきに「三重の要因」としてその核心の
詳細をUPしたが、今回、そのダイジェスト版(簡略編)をUPした。
(表題は、「太宰治の死 :愛人と別れるか、恩人と別れるか-究極の選択」 に変更(H30/8))
今年は太宰治没後70年、多くの方の関心が高まるかと思い、読みやすく
なるよう整理した。併せて、カウンターも 多くの子ページに設置してみた。
H30(
2018).5.3(憲法記念日)・・この日にしては珍しい悪天候だった。
(カウンターで、トップページより子ページ閲覧が圧倒的に多いことが
判明した。子ページだけを見て終るケースが多いためで、アクセス
解析法を再検討することとし、全カウンターを廃止した。(H30.6.16))
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アクセス状況 (@nifty解析サービス利用:H30.7.2開始)
親ページ(トップページ)に、親と子ページ合計のアクセス数をリアルタイムで
表示するカウンターの設置を検討したが、諸般の事情からこれを断念し、
@niftyのサービスを利用することにした。
毎日、@niftyから詳細なアクセスレポートが提供されるので
そこから、日毎のアクセス数と閲覧項目(ページ)数を
抜き出し、その累計を、適時、本項末尾に記録することを始めた。
H30(
2018).7.12(木)
(本項末尾の記録は廃止・・2021.02.14)
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木山捷平 没後50年・・木山の項、仕上げに着手
渡満-敗戦難民-引揚げ・・、木山の苦難の時期を辿ってUPを始めた。
実は、私も引揚者。昭和21年6月か7月に奉天を発ち、葫蘆島でアメリカ軍の上陸用
舟艇に乗り、博多(仙崎?)に着いたが、コレラが発生して佐世保に回航され、
長期間待ってやっと上陸した。母と私(7歳)と弟の3人での引揚げだった。
父は終戦直前に応召し、シベリア抑留となり、昭和22年1月に帰国した。
自分自身の記憶はとても薄いが、木山の場合と状況がよく似ており、身につまされる。
父母存命中に詳しく聞いておけばよかったと悔いているが、父母ともに、当時のことは
あまり話したがらなかった。話題にすることを避けていたように思う。
木山もそうだが、言うなれば、当時の体験者の多くに共通する貝化状態である。
私の記憶に残るのは、家の外で銃声 (と思う) が聞こえ、人が殺されたと聞いたこと、
私ら子供たちが、首からさげた箱に (駅弁売りのよう)栗まんじゅうを入れて街に
売りに行った(1日だけ?)こと、葫蘆島までは無蓋車だったこと、途中で何回も長時間
停車したこと、銃声や砲弾のような音が聞こえるなど怖くて不安だったこと、持ち物検査
の度に多くの持ち物が没収されたこと、上陸用舟艇の床が固くてヒンヤリしたこと、
コレラでなかなか上陸できず、その間に船上で演芸会があったこと、
DDTの粉を頭から全身にかけられたこと、上陸後は有蓋貨車に乗ったこと
(途中で客車に乗ったような気もするが)、貨車で一緒だった中年の男性に
「外交官になれ」と言われたこと・・などである。出身地の長野県に帰着した。
そして最も強烈な記憶は、引揚げ船で配給された一本のバナナと一切れのカステラの
味である。世の中にはこんなにも美味しいものがあるのかと感動した。味そのものは
覚えていないが、感動したという記憶は鮮明である。以来、現在まで、バナナ、カステラ
に限らず、食べ物にそのような感動を覚えたことは無い。幸せなことなのだろう。
折も折、山陽新聞(デジタル)の記事が目に入った。木山の生家は笠岡市に寄贈され、
市は活用を検討するとのこと、時の流れを感じるが、笠岡市の対応に感謝したい。
== 昭和はどんどん遠くなる ==
H30(
2018).10.11(木)
「木山捷平の人生と作品」完結UP(H31(2019).4.17)
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「大学入試センター試験」の国語問題に
上林暁「花の精」
2019年度センター試験(1/19)の国語問題に、上林暁の「花の精」が出題された。
直後から、当HP中の
「上林暁の人生と作品」および
「上林暁 作品一覧」への
アクセスが急増している。一時的現象ではあろうが、ネット情報時代の渦中に
いることを実感し、発信者として情報の質には一層心すべしと意識を新たにした。
これを機に、上林文学がさらに多くの方々に注目されると嬉しい。
H31(
2019).1.26(土)
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映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」公開で
アクセス数急増!!
2019年9月13日、映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」 が公開された。
その日から、当HP中の
「太宰治関連の項目(ページ)」へのアクセスが急増している。
太田静子、山崎富栄、太宰の心中死、に関しては、日によって通常の数倍にも達する。
一時的現象ではあろうが、前記の上林に続き、あらためてネット情報時代の渦中に
いることを実感し、発信者として情報の質には一層心すべしと認識を新たにした。
それにしても、太宰への関心の高さ、映画の威力には驚きである。
2019
(R1).9.22(日)
ブームは去った!!
2019年11月の太宰治関連の項目のアクセス数は半減した。
太宰映画によるアクセス急増というブームは、2か月で消えた。
2019
(R1).12.02(月)
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(制作者 : 荒井 大樹)
連絡先 (E-mail) arai-ys●nifty.com
(●の部分は、●に代えて、@ を入力してください)
<ご質問の場合には、以下の欄に回答させていただくことがありますのでご了承ください。>