石山太柏 = 荻窪ゆかりの日本画家


HOME (総目次



= 「夕暗の天沼弁天」・「近郊二景(井草野・荻窪)」 =

荻窪風土記-荻窪八丁通り」(井伏鱒二)に、石山太柏画伯宅を訪ねたという記述がある。
(本文は「大白」だが「太柏」が正しい。)
明治26年山形県に生まれ、同44年に
上京(18歳)。天沼にいつから住んだかはっきりしないが、大正7年には天沼教会近くに
自宅兼アトリエと庭を構え、界隈の風景などを描いて“一種の詩情が含まれる作品”と
高く評価される活躍をした
荻窪ゆかりの日本画家である。(略年譜下記)


井伏が訪問したのは、この大正10年頃のことである。

今ではその名を知る人も少ないが、東京国立近代美術館は、所蔵する太柏の六作品を
ネット上に画像付で公開している。芸術作品として高い評価があることが窺えるが、
中でも次の作品三点は、郷土史という観点からも特に興味深い貴重な資料だろう。

「夕暗の天沼弁天」(制作年不詳

参考サイト  画像: 夕暗の天沼弁天  (東京国立近代美術館)

現在の天沼弁天池公園の地にかつて存在した弁天池を描いた日本画。
制作年は不詳
だが、大正から昭和にかけての作に「天沼の弁天池」「冬涸の天沼風景」
「晩秋の荻窪駅付近」など自宅近くの風景画が目立つので、
同時期の作とみてよかろう。
郷土史資料としてよく知られる矢嶋又次作画「天沼弁天池」を併せると一層の感興が湧く。



「近郊二景(井草野・荻窪)」(昭和5年作)

参考サイト  画像: 近郊二景(井草野・荻窪)  (東京国立近代美術館)

精緻な写実画で、まさに当時の荻窪辺りの情景そのものだろう。多くの郷土資料
天沼八幡神社を遠望する当時の風景写真が載っているが、これも併せて見ると
荻窪
の原風景がより鮮明に迫ってくる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

[ご参考]  大正4年(1915)の杉並地域の土地利用・・90%以上が田畑・山林原野!!

冊子「杉並区農業の歩み」の「資料」編に「大正4年産物表」があり、
そこに、豊多摩郡の4ヶ村(現杉並区)の民有地の地目の数値がある。

杉並区の100年前の姿は、田畑が70%以上、山林原野が20%で、
宅地は7%にも満たない。田畑・山林原野が広がっていたことが解る。

宅地  畑  田  山林原野など  計 
 199 (6.8%) 1,854 (63.4%)  306 (10.5%)  563 (19.3%)  2,922 (100%) 

注1 : 単位は、「町」。 「1町≒0.00991736k㎡」 なので、2,922町は、約「29.00k㎡」 である。
現在の杉並区の面積は、約34k㎡で、差の約「5k㎡」は官有地などとみてよかろう。
(同資料によれば、和田堀ノ内村の官有地・免訴地は約64町で、同村面積の1割強に
相当する。道路、水路敷、学校、社寺、墓地等だが、他の村はその記載がない。)

注2 : この豊多摩郡の4ヶ村(現杉並区)は、和田堀ノ内村、杉並村、井荻村、高井戸村。

注3 : 「杉並区農業の歩み」(S50/2:編集・発行ー杉並区・杉並区農業委員会)の表には
4ヶ村別の地目と農産物が載り、「豊多摩郡誌」との表示がある。
「豊多摩郡誌」は、郡役所編集で大正5年に発行された。(S53:復刻版出版)

注4 : 本表は、「豊多摩郡誌(復刻版)」により数値を確認のうえ 「杉並区農業の歩み」の
山林原野の数値「567(町)」を「563」に修正した。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

そのほかの作品に関して =

太柏作品の所在は、ネット情報で、東京国立近代美術館の6作品と山形県東根市
指定有形文化財1点(個人所蔵)が確認できたが、他の所在は把握できなかった。
代表作とされる画題、出版された画集、作品目録の類の情報も見つけられなかった。

大正から昭和初期における実力派の日本画家としては情報量が少なすぎる気がするが、
資料の中には、本ページの冒頭に掲げた3点以外にも興味深い画題が多数ある。

例示すれば 
(特に、杉並の住人からすると・・)

 秋草に月 (夕月?)  本人自信作・帝室博へ寄付     






  
 井頭の夜  S6個展・白野次郎の評あり
 天沼の弁天池  T8個展・有島武郎の評あり   初冬武蔵野
 晩秋の荻窪駅附近  S6個展・白野次郎の評あり    雪の武蔵野
 冬凋の天沼風景  首夏村道   S11個展・齋田素州の評あり
 天沼附近  
 
S6個展 作品目録にある
 
 山西の残照  S14個展・豊田豊の評あり   
 天沼の秋  高山夕照
 井草田圃  綏遠の朝


コレクターの手許に秘蔵されているならそれなりの意味があるが、もし、既に過去の画家として
忘れ去られた存在というなら、もう一度作品に光を当てて再評価する価値はないのだろうか。
美術館などで未整理のままになっていないか、個人所蔵でも開示できる作品はないか・・
入賞作、好評作を主体にした「石山太柏展」の開催や画集の発行などできないのだろうか。


なお、太柏は早い時期から茶道、華道、造園、詩歌、古典文学などを
積極的に学んだようだ。茶道は大日本茶道学会の田中仙樵 に学び、
茶室や庭は自ら設計、指示して自宅の敷地にも造ったという。

昭和26年に「日本茶道院」を設立し、晩年は茶人として活躍した。
太柏関連の茶室をネット検索したところ、次の二つが見つかった。

・「聴雨亭」=山形県指定文化財(史跡) 「春雨庵跡」にある茶室。
茶室は、「春雨庵」復元(S28)に際し太柏が関わって造ったという。
茶室も復元なのか、太柏の設計で新築なのか、詳細は記述なし。

・「観山亭」=山形県の赤倉温泉にある「あべ旅館」にあった。
ネットには、「太柏が作った本格的な茶室で、壁面には
太柏による「奥の細道」の全文と墨絵が描かれている」
とあるが・・、「あべ旅館」は平成25年から営業していない。
(赤倉温泉観光協会に問い合わせたところ、係争中のため、
茶室を含むすべてが以前のままだが立入禁止とのこと。)


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

==石山 太柏(いしやま たいはく)「略年譜」==


  石山 太柏

 本 名: 徳一郎

 画 号: ・雪汀 (18歳迄使用)
       ・太柏(たいはく)  ・丈泉子(じょうせんし)  ・天沼居人(てんしょうこじん)  ・萍庵(ひょうあん)
       ・楽閑斎(らっかんさい)  ・視夢艸苑(しむそうえん)
       (是等を作品内容により使い分けていた)

 茶 号: ・萍庵(ひょうあん)  ・楽閑斎(らっかんさい)  ・宗幽(そうゆう)  ・休々窟(きゅうきゅうくつ) 等

 年  年齢 事 柄 
明治26年
  (1893) 
 
0
○ 4月29日 山形県北村山郡小田島村島大字島 (現・東根市大字島大堀)にて
  石山徳太郎(農)長男 として生まれる。

 明治41年
  (1908) 
 
15
○ 12月~尋常高等小学校卒業後、小松雲涯氏に伴われ、東村山郡豊田村(現・中山町岡)に住ずる
   日本画家の柏倉雪章(川端玉章門下~四条派)に内弟子として入門、起居を共にして日本画の
   手ほどきを受ける。

○ 雅号 『雪汀』を受ける。


 明治43年
  (1910) 
  
17
○ 秋より翌年春にかけ、画巻『一福千態』(二巻)を描き 『太柏』 の号を受ける。
 
   ☆ 「依師命」とあるは此が(試験)である。巻末の署名には歳拾八才とあるが「数え」である ☆

 明治44年
  (1911)
  
18
○ 春 『太柏』 の号をもらい上京。
   寺崎廣業の「天籟塾」に数回通うも、其の塾風及び廣業氏の芸術に 対する姿勢を嫌い通わず。
   以後独学にて、新たな師を持たず、生涯、柏倉雪章を唯一の師とする。

 大正元年
  (1912) 
 
19 ○ 此頃 村田丹陵(大和絵)に、日本絵ノ具の使用法を習う。
大正2年
  (1913) 
  
20  「巽画会」 に (伊東深水とともに) 入選。 『河岸の月』 に独自の画境を拓く。 
大正3年
  (1914)
   
21
○ 再興第1回日本美術院展に 『しもがれ(山寺)』  『くれあい(赤湯)』 の二点が入選。 
    Cf. 入選画数36点・他に 速水御舟・大智勝観・小林古径・前田青邨 等が初入選となる。

○ 小茂田青樹に誘われ 「赤曜会」(<大正3年発足> 目黒研究会―A組研究会員)に属し、
   小林古径・ 速水御舟・今村紫紅・中村岳陵・郷倉千勒・奥村土牛 等の諸氏と研鑽を続く。 

○ 第8回文展入選。 『渡し場』

 大正5年
  (1916)  
 
23 ○ 第17回 「巽画会」 に 『風景』 入選。
 大正7年
  (1918)  
 
25
○ 4月~ 奈良・京都スケッチ旅行

○ 第5回院展 『  ?  』 入選

○ 天沼居・天沼画房 新築
  「天沼画房」 「天沼居」 完成。
  (各部屋に炉を切り茶を点てられる様にする)

 ・ 「日本美術学校」の講師として、川端龍子のあとを受け、荒井寛方等と共に新鋭画家の
   一人として実技指導に当たる。
    Cf. 「日本美術学校」 ~ 官学派のアカデミズムに対抗して戸塚荒井山に創立された。

 
・ 初め、岡本樵雲氏に就いて茶道を始めるが、その時期不明。
   此の頃には田中仙樵(大日本茶道学会)に就いて茶道を習う。

 大正8年
  (1919) 
 
26
○ 第1回個人展覧会 (東京美術学校俱楽部)
    『天沼弁天の池』(東京近代美術館蔵) 『従兄の住める五反田の朝』 『外濠の一部』
    『上野公園』 『若葉に包まれた家』・・・他。(70余点)

  ☆ 雑誌 『太陽』 に有島武郎氏が三頁にわたり個展の評を書く。
     <25巻13号(1919年11月号)・及び 「有島武郎全集」 ~第3巻収蔵>

○ 第1回帝展 『上井草付近』 入選。

 ・此頃 「芸術村運動」 に参加 (有島武郎の紹介)
  浜田庄二の窯にて、富本憲吉・バーナード・リーチ等と共に作陶を学ぶ。

 大正9年
  (1920) 
 
27
○ 第2回帝展 『杉並村の晩秋』 入選。

○ 10/30~11/6 第2回個展 (上野公園前・青陽楼)

 ・此頃、屏風の受注制作を実施、作品を置く部屋に合わせて製作した。(発起人~星野 錫)

 ・T9.1.21~T10.3.25 計15ヶ月 月額金150円を星野 錫 (青山)より研究費として援助を受ける。
  しかしながら、此の事が心理的負担となり、翌年此の援助を断る。
  Cf. 星野 錫 (青山) ~ 東京商工会議所副会頭

 大正10年
  (1921) 
 
28
○ 「石山太柏後援画会』 発足 ~発起人:池田金太郎・星野 錫・有島武郎

 ☆ 柏倉惣右衛門宅の書院座敷 (新屋敷) に障壁画を完成

 大正11年
  (1922) 
 
29
○ 「視夢艸苑作画頒布会 (準 「個展」) ~初回・天沼画房にて ( 「石山太柏後援画会」 を対象とする)

○ 第9回院展 『梅咲く吉野村』 入選

 大正12年
  (1923) 
 
30
 有島武郎 軽井沢で自殺

大正13年
  (1924) 
  
31
○ 研究会 『野草会』 を設立、絵を志す若い人々を天沼の自宅に集む。
   Cf. 画壇の派閥を嫌い、「画塾」 ではなく 「研究会」 とする。
      美術学校での教え子が主であるが、他に、
      樫村白圭(横山大観 門人)・藤(田中) 英・宮部咲也・佐瀨徳治・尾崎三郎・
      中川一政 (後に洋画)・安 泰(童画) 等々。


○ 9月 第12回院展 水墨画 『間渓画巻』 を出すも通らず、他の二点が入選。『 ? 』 『 ? 』
   Cf. 大観 「生々流転」への挑戦.。
   
 ☆ 此頃から翌年にかけて柏倉雪章宅 (喜作家)・倉座敷の障壁画を作成。

 大正14年
 (1925) 
32 ○ 11/14~  第5回個人展覧会(自宅)  (T11~T14 ・40点)
 大正15年・昭和元年
  (1926) 
 
33
○ 再興第13回院展 『 峡 』 入選

 昭和2年
  (1927) 
 
34
○ 第14回院展 『花鳥園』 入選

○ 9/15付 日本美術院 「院友」 となる。

 昭和3年
  (1928)
 
35
○ 第15回院展 『間徑』 入選 (東京近代美術館蔵)


 昭和4年
  (1929)
  
36
○ 第16回院展 『 ? 』 入選

 昭和5年
  (1930)
  
37
○ 第17回院展 『庭井』 入選。 <桂 五郎氏邸の庭・東根市指定文化財>

昭和6年
  (1931)
  
38
○ 5/1~5 第6回個人展覧会 (銀座 伊東屋) <T11~S6 計80点>

○ 一時、居を下連雀に移す。 茶室萍庵を造営(天沼)

 ・此の頃より千歳山・平清水(山形県)にて作陶。

昭和7年
  (1932)
   
39
○ 6月頃、中国大陸旅行 (6/5付け書簡在り) 

昭和8年
  (1933)
   
40
○ 1月~S9/12 「杉並区市政記念 石山太柏武蔵野風景作画頒布会」を行う。(対象は杉並区民)

   Cf. 「東京市杉並区」となる。(S7/10)

 昭和9年
  (1934)
  
41
○ 第21回i院展 『   』 入選。

 昭和10年
  (1935)
  
42
○ 「院展」を辞退、以後院展に出品せず。
   (「院展」 出品回数合計     回」)

○ 『新萬葉集』 (佐々木信綱 等の編集による)に、和歌三首掲載される。

昭和11年
  (1936)
   
43
○ 第1回改組「帝展」に出品 。 『群生』 <六曲壱双・四国 金比羅宮宝物館【應擧館】蔵・県文化財>

○ 5/1~5 第7回個展 (銀座伊東屋)~  (出品33点)

○ 「昭和11年文展 (鑑査展)」  『洛陽富貴』 入選

昭和12年
  (1937)
   
44
○ 第1回 「文展」 『潤潺賦』 カンセンフ ~ 公展最後の出品となる。<東京近代美術館蔵>

昭和13年
 (1938)
 
45
○ 4/23~24 第8回個展 (東京美術倶楽部) ~ (出展47点)

○ 4/22 太柏作品鑑賞会 「柏翠会」 設立:
       ※発起人:藤懸静也・正木直彦・溝口禎次郎・田中一松・
              尾上八郎(柴舟)・武田祐吉<両氏に書及び和歌を習う>・他 計48名

○ 12月 茶室 「萍庵」 完成 

 昭和14年
 (1939)
46
○ 12/11・12 第10回個展 (東京美術倶楽部) ~ (出展35点)

○ 美術雑誌 「塔影」 (第15巻・12号) 個展の評文(豊田豊筆)掲載される。

○ 「美術作家」 (芸大社刊) 第5号・12月発行 ~ 太柏の特集号
   寄稿 :小森松庵・正木直彦・溝口禎次郎・藤懸静也・・・

 昭和15年
 (1940)
47


 昭和16年
 (1941)
48
○ 5/1~4 第11回個展 (東京日本橋 高島屋) ~ (S14・15・16年作品・45点)

 ・山形千歳山平清水にて茶入・水差を作陶

 昭和17年
 (1942)
49
○ 2月 「楽閑齋」 (茶室八畳) 完成

○ 1/22・23 第12回個展 (自宅) ~ (25点)

昭和18年
 (1943)
 
50
○ 1/20~24 第13回個展 (名古屋松阪屋) ※推薦文:松尾宗吾(松尾流家元)・藤懸静也

○ 11/14 第14回個展 (自宅) ~ (24点・他色紙数点)

昭和19年
  (1944)
  
51
昭和20年
  (1945)
  
52
○ 5/26~29 山形市ミツマス3階 画廊 ~ (30有余点)

 ・此頃 山形県西村山郡 柴橋村中郷に疎開
  (我孫子宅・後山大教授・歴史)


昭和21年
  (1946)
  
53
 ・当時日用雑器を焼いていた西山窯 (桑原春吉) を紹介され、茶陶を指導する。
   自らも作陶。

   
昭和22年
  (1947)
  
54  
昭和23年
  (1948)
  
55
昭和24年
  (1949)
  
56
昭和25年
  (1950)
  
57
昭和26年
 (1951)
 
58
○ 『日本茶道院』 を設立。 5/20 日本茶道院発会の春期茶会・於視夢艸苑
   以後春と秋に開催

昭和27年
 (1952)
 
59
○ 2/22 第1回聖徳太子忌茶会 開催 ・ 於「視夢艸苑」 (自宅)

昭和28年
 (1953)
 
60
○ 山形県 上ノ山 「春雨庵」 復元・及び茶室・庭園の設計建築の指導に当たる。

昭和29年
 (1954)
 
61
○ 6/25~27 第2?回個展 ~ 東京美術倶楽部 (30有余点)

昭和30年
 (1955)
 
62
○ 「春雨庵」 「聴雨亭」 完成・
   7/23 落慶の儀式 (入佛式・沢庵和尚座像開眼法要・供茶)及び 記念茶会(三席掛釜)
        <関係者記念品として平清水千歳焼の天目形茶碗を配る>
 
   10/16 茶道院秋季茶会・   11/6 春雨庵秋季茶会掛釜

昭和31年
 (1956)
 
63
  脳溢血にて病を得る。其の為、長野県善光寺より茶室造営の依頼あるも請けられず。

昭和32年
 (1957)
 
64
○ 羽前赤倉 芭蕉庵・観山亭・笠掛庵・石庭 の造営
   冬場に大工指導を兼ねて天沼の自宅に予楽軒を造営

昭和33年
 (1958)
 
65
○ 5/18 聖徳太子奉賛茶会並び萍庵快気祝い (於視夢艸苑・全五席)
       記念品として西山での作品 (茶碗) を配る。

昭和34年
 (1959)
 
66
昭和35年
 (1960)
 
67
○ 11/23~25 第2?回個展 ~ 山形市 物産館 (109点)
  併設:西山焼き茶碗展 (太柏指導) にて桑原氏を今高麗と命名して世に出す。

   ・・・・・・・・・・此の回が最後となる・・・・・・・・・・

 昭和36年
 (1961)
68
  1月17日 歿 (風邪から肺炎・心筋梗塞)


太柏の絵画に於ける研究は、四条派を初め、大和絵・土佐派・宋画 (院体画)・南画・水墨は基より、
油絵・テンペラ画をも畫など、洋の東西を問はず研究した。
公展出品 18回  個展20有余回に及ぶ



   絵をしかき 歌を詠みつつ茶の湯する

   けだし我が世は ゆたけくもあるか




 
   (未確認) 

   ☆ 茶室「休々窟」の造営年 ~ 大正12年以前

   ☆ 「賞美展覧会」 ~ 2展出品

   ☆ 「煌士社」 第3回展覧会 『鳰
(カイツムリ)』 出品

   ☆ 第3回 円雲展 (松坂屋) 出品


   ☆ 「依頼画御断り」の広告記事を載せた新聞(朝日?毎日?)
     及び記事の年月日(大正8年か9年頃)


(本譜は、石山隆唯氏の作成・監修による :H28/11)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は、冒頭に記した荻窪界隈の風景画像をネットに発見した時、思わず画面に吸い込まれた。
自分が住む地、荻窪の100年前の姿ということもあるが、それだけでなく、 いわば心の故郷を
見たような感覚である。知るはずもない今は遠い荻窪の田圃、太柏がそこに描いた人と自然の
息吹と調和、静謐の気に、何かとても大事なものを再発見したような感慨に浸ったのである。

太柏は、ここに山形の故郷を見たのかもしれない。
「夕暗の天沼弁天」は、98.0×115.0、「近郊二景」は、各82.0×115.5 の大作である。
実物(彩色)に接すれば、その絶大な筆力、迫力にさらに圧倒されるに違いない。

現在、普通ではこれらの風景画をはじめ太柏作品の実物を見ることはできない。
太柏の作品をこのまま朽ちさせるのはあまりにもったいない・・、惜しい気がする。
その価値を、再度今の世に問えないものか、そんな思いで本ページを作成した。
                                            
                                 
(H28/9UP・H28/11改訂)
--------------------------------------------------------

「荻窪風土記 ー 荻窪八丁通り」


HOME (総目次

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日(H28.10.21)の 「広報すぎなみ-催し」 欄に、次の案内があった!!


■郷土博物館分館企画展「天沼弁天池があった頃~三人が残した足跡」

天沼に住んだ3人(軍医・都築甚之助、日本画家・石山太柏、実業家・
宮崎三治郎)を通して、天沼弁天池があった頃の歴史を振り返ります。

10/29(土)~12/11(日)  9:00~17:00 (休館=月曜日と第3木曜日)
会場:郷土博物館分館(天沼弁天池公園内 ・ ☎5347-9801)

== 早くも私の願いが通じたか・・楽しみです ==


石山太伯のコーナーには、略年譜、天沼関連資料などのパネル展示がある。

「夕暗の天沼弁天」(縮小複製)と矢島又次作画も並べて展示されている。
多くの作品の展示があるが、その中で、第2回帝展入選作「杉並村の晩秋」
(実物展示)は、大作でさすがの情緒、迫力である。
(H28.11.1追記)

*********************************************************