井伏鱒二の「盗作疑惑」を解明する

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別項「井伏鱒二の人生と作品」で触れたように、井伏には 「盗作」 が取り沙汰される作品がある。
豊田清史の 「黒い雨」に関する指摘に始まり、猪瀬直樹は 「ピカレスク 太宰治伝」 で 「種本の
リライト」 を摘出することで井伏批判を展開し 「盗作疑惑」 として話題になることが多くなった。
本項では、これらの作品について、作品毎に確認して私見をまとめた。

    ★ 「盗作疑惑」が指摘される作品一覧 (作品初出順) 

作 品 名 初出 <発表誌> 種本(著作者)とされる作品
 「山椒魚」(「幽閉」(T12)を改稿)  S4/5 <文藝都市>  「賢明なスナムグリ」(シチェドリン)
 「田園記」 漢詩の和訳 10編  S8/10 <文学界>  「臼挽歌」(江戸時代の訳)
 「青ヶ島大概記」  S9/3 <中央公論>  「八丈実記」(近藤富蔵)
 「中島健蔵に」 漢詩の和訳 7編  S10/3 <作品>  「臼挽歌」(江戸時代の訳)
 「ジョン万次郎漂流記」  S12/11 河出書房刊   「中浜万次郎」(石井研堂)
 「黒い雨」(当初7回は「姪の結婚」)  S40/1~<新潮>連載21回  「重松日記」(重松静馬)

    ★ 参考にした主な資料

        ・豊田清史著 「『黒い雨』と『重松日記』」(H5(1993)/7:風媒社)
       
       「黒い雨」 に関する疑惑を最初に指摘した著書。一般に“盗作説”とされ、論争の口火を切った。
          著者は重松静馬(重松日記の著者)の知人で、歌人(短歌・評論雑誌「火幻」主宰)。
          その後、著者は多くの著作、言動において自説を展開したが、論拠に混乱が生じるようになった。
          (この著書刊行同時期に井伏は死去(H5.7.10)、 著者は、H24(2012)死去)

        ・相馬正一著 「井伏鱒二の軌跡」(H7(1995)/6 津軽書房)
        ・相馬正一著 「続井伏鱒二の軌跡」(H8(1996)/11 津軽書房)

          著者は太宰、井伏の研究家として著名で、井伏文学を高く評価している。
          上表記載の作品については全てに触れているが、「盗作疑惑」に関連する直接的な記述があるのは、
          「黒い雨」と「漢詩の和訳」だけである。
          (著者は、H25(2013)死去)

        ・猪瀬直樹著 「ピカレスク 太宰治伝」(H12(2000)/11 小学館)
        ・猪瀬直樹著 「『黒い雨』と井伏鱒二の深層」(H13(2001)/8<文学界>)・・ネット「日本ペンクラブ:電子文藝館」
        ・猪瀬直樹著 「日本の近代 猪瀬直樹著作集 4 ピカレスク-太宰治伝」(H14(2002)/4 小学館)

          著名作家・評論家・元東京都知事(H24~H26)である著者は、この著書で井伏のすべてを強く批判している。
          上表全ての作品について論じ、例えば「ジョン万次郎漂流記」について、「ここから井伏の作品づくりの
          いい加減さが見えてくる。」 「多くの井伏信者は、買い被りすぎなのである。」 とまで決めつけている。
          
           なお、「猪瀬直樹著作集4」の巻末には、「『黒い雨』と井伏鱒二の深層」、谷沢永一による書評
           「炯眼と考証で明かす太宰自殺と井伏悪人説」、谷沢との対話「作家の沈黙 文学の終焉」などを所収。

        ・谷沢永一著 「炯眼と考証で明かす太宰自殺と井伏悪人説」(H13(2001)/1<文学界>:「猪瀬直樹著作集 4」所収)
          

          文芸評論家文学者として著名な著者は、この問題に関しては全面的に猪瀬説を支持している。
          強烈な筆致で井伏を批判しているが、事実確認など論拠に疑問を感じる箇所もある。
          (著者は、H23(2011)死去)、

        ・重松静馬著 「重松日記」(相馬正一編集・解説:(H13(2001)/5 筑摩書房)    

          「黒い雨」の「種本」とされる「重松日記」は、長年にわたり門外不出だったが、本書となって出版された。
          本書には「黒い雨」に取り込まれている「岩竹医師の記録」、重松宛の井伏の書簡や相馬の解説が載っている。 
          (著者は、S55(1980)死去)

        ・「資料集 第二輯 太宰治・晩年の執筆メモ」(青森県近代文学館編集(H13(2001)/8)    

          太宰治が手帳(S22とS23)に書いた執筆メモ。手帳の各ページを写真版で公開した。
          「井伏鱒二ヤメロといふ、」 に始まる注目すべきメモをはじめ、太宰の生々しい思いが書き留められている。

        ・竹山 哲著 「現代日本文学『盗作疑惑』の研究」(H14(2002)/4 PHP研究所))

          井伏作品では「青ヶ島大概記」、「ジョン万次郎漂流記」、「黒い雨」を、ほぼ猪瀬説に沿って論じている。
          「山椒魚」と「漢詩和訳」には触れていない。
          他に、田山花袋、 森鴎外、徳富盧花、太宰治の作品を論じ、最終章で各作品の“創作性”を検証している。

       ・松本鶴雄著 「井伏鱒二論全集成」(H16(2004) 沖積舎)
         
          「第四部 拾遺編 8・『黒い雨』は盗作か?―フィクションとドキュメントについて再論」 で客観的立場で論じている。
          (著者は、H28(2016)死去)

        ・栗原裕一郎著 「<盗作>の文学史」(H20(2008)/6 新曜社)

        「第五章 1 『黒い雨』 協奏曲―井伏鱒二『黒い雨』」 で客観的立場で論じている。
           「活発な議論が為されたように見えるが、主要論者の見解のすりあわせはない。」 と議論不足を指摘。

        ・黒古一夫著 「井伏鱒二と戦争」(H26(2014)/7:彩流社)

            直近の資料として目についた。
            「黒い雨」盗作説を巡る豊田清史への反論・応酬が主体。


== 「黒い雨」 盗作疑惑の論争 ==

     ★豊田清史、猪瀬直樹の指摘 と 相馬正一 との論争

 「黒い雨」 は 「重松日記」 を参考にしたことは以前から知られていたが、“盗作説”として
論争の口火を切ったのは豊田清史著 「『黒い雨』と『重松日記』」(H5:1993) である。
(豊田は「盗作」とは明記していないが、一般には“盗作説”と受け止められている。)

その後、著者は多くの著作、言説において自説を展開したが、論拠・言動に混乱が
見られるようになり、信憑性が揺らいだことは否めない。

豊田の“盗作説”に対し相馬正一は、「井伏の手に成る創作であり、稀有の原爆小説である」
と提言して論争したが、この問題がさらに広く注目され、論じられるようになったのは、
猪瀬直樹著 「ピカレスク 太宰治伝」(H122000) の刊行からである。

猪瀬は、太宰治の評伝執筆で、太宰が最後に書き遺した文言 「井伏さんは悪人です」 の
意味を追究し、井伏の 「種本」 利用は太宰自身が関わりを明かした 「青ヶ島大概記」 の
ほかにもあると指摘して、この安易な執筆姿勢が 「黒い雨」 の根底にあるとした。

「黒い雨」 に関する猪瀬らの盗作疑惑は、結局は次のようである。
「盗作」とは明記しないがそう印象付けて井伏の姿勢を批判している。

・「黒い雨」 は 「重松日記」 のリライトである。 「重松日記」 刊行に関して、「一部の
心ない盗作説などによって 『黒い雨』 を矮小化してはならない」 という指摘が
あるが、“心ない盗作説” かどうかは 「重松日記」 を読めば解るだろう。

・「黒い雨」 が戦後文学の傑作なのか、読者も 「重松日記」 により判断して欲しい。

・井伏の作品作りは安易である。「山椒魚(幽閉)」、「漢詩和訳」、「青ヶ島大概記」、
「ジョン万次郎漂流記」 において「種本」を用い、リライトするなどして発表した。
森鴎外への書簡のこともある。井伏の作品作りのいい加減さが見える。

なお、猪瀬は、太宰治が 「井伏さんは悪人です」 と書き遺したのは、この安易さや太宰
の薬物中毒を題材にした井伏の小説 「薬屋の雛女房」 を読んだことによるとしている。

また、谷沢永一は 「ピカレスク 太宰治伝」 の書評や猪瀬との対談において
猪瀬の指摘を全面支持して井伏を強烈に批判しており、二人三脚の感がある。

     ★「黒い雨」 盗作疑惑に関する私見

・「黒い雨」 と 「重松日記」 の記述には重なる部分が多いことは確かである。また、重松静馬は
自分の名前で日記をそのまま出版することを希望して原稿用紙に清書して
井伏に送ったという猪瀬の推測は十分あり得ることと思う。

・一方、「重松日記」 の巻末にある解説(相馬正一)や井伏の書簡などによれば、日記を読んだ
井伏と重松とのその後のやりとりの中で井伏が小説化することになり、
重松は、井伏の取材、執筆に、全面的に積極的に協力したことが判る。

また、単行本刊行に際し、井伏は重松に “共著” にすることを提案したが(S41/8・尾道)、
重松は固辞したという。(相馬が重松家当主から聞き取り)

これらの状況、経緯を踏まえて、次のように考える。

「黒い雨」 は、発表後直ちに多くの文学関係者の高い評価を受け、野間文芸賞を受賞した。
多くの読者を惹きつけ、映画化されるなど社会的にも反響を呼び、世界的にも知られた。

「黒い雨」 には専門家らが指摘する連載途中での題名変更という小説構成上の破綻があり、
さらに猪瀬らが指摘する “リライト” であったとしても、純粋な文学作品論はともかくとして、
原爆の非人道性、反戦を人の心に深く焼き付ける文学作品として高く評価すべきだろう。

仮に、「重松日記」をそのまま出版したとして、「黒い雨」のように注目を
浴びることができただろうか? 重松は、被爆体験記などが多数出て
いるので出版には自信がないとも漏らす状況にあり、答えは否だろう。

文化勲章受賞に繋がり、噂ではノーベル賞候補にもなったとか。
創作性に疑問がある作品で受賞するなどへの嫌悪感はあっても、
少なくとも、小説化した井伏の文業、功績は否定できないだろう。


現在では参考資料を用いれば、本の巻末などに相応に明示する。今から思えば、井伏がそれを
しなかったのは迂闊の誹りを免れないが、著作権の概念や認識、取扱いが現在のように一般化
していない時代のこと、「盗作疑惑」 とされるほどに責められなければならないのか疑問を感じる。

実際、豊田が盗作疑惑を論じた 「『黒い雨』と『重松日記』」 を刊行したのは、井伏の
病没時に重なり、「黒い雨」 刊行からは27年を経過、重松静馬の没後13年である。
猪瀬の 「ピカレスク 太宰治伝」 と 「重松日記」 の刊行はさらに7~8年の後である。

この時間の経過は、金銭授受とか井伏側の圧力の影響とかいう指摘もあるが、それとは全く異なる
事情、例えば重松静馬の人格、人生観に基づく特別な心情のようなものに拠るとも考えられよう。
いずれにしろ、刊行からここまで、著作物に関わる価値観の変化を伴う長い時間が流れている。

井伏が 「黒い雨」 で文学賞などの栄誉を独占したのはおかしい、重松静馬と 「重松日記」 を
もっと高く評価すべきという指摘は十分に理解できるが、だからといって、井伏は 「重松日記」 に
依拠していい加減な作品作りをしたと批判するのは単純、短絡に過ぎ、筋違いではないだろうか。

== 「種本」 四作品に関する疑惑と私見 ==

   ★ 「山椒魚(S4:1929)」(=「幽閉」(T12:1923)を改稿・改題) 

     猪瀬直樹は、シチェドリン著 「賢明なスナムグリ」 が種本と指摘するが・・
  
       (註:「賢明なスナムグリ」=「賢いカマツカ」 :日本語訳「大人のための童話-シチェドリン選集 第1巻」
       (西尾章二訳 1980 未来社)所収: 原作は1884発表作(ロシア)で、確認できた最初の日本語訳は1954年) 

猪瀬直樹は、「ピカレスク 太宰治伝」 などで、シチェドリン著 「賢明なスナムグリ」 の
一部を示し(引用)、この作品が「山椒魚」の種本であると指摘、井伏はこの種本の
使用を隠すためにチェーホフの 「賭」 をヒントにしたと言っている、と批判している。

盗作とか剽窃とか明記しているわけではないが、そのように読み取れる書き方で、現に、
評論家の谷沢永一は、猪瀬の指摘を受けて 「原作をなぞった写し取り」 と同調している。
本項では、単なる種本の指摘としてでなく、「盗作疑惑」 を指摘したと捉えた。


猪瀬は、 「『黒い雨』と井伏鱒二の深層」 で、<新潮>(H5・1993/5) の井伏鱒二追悼特集 「陽気
な人のための悲しい本-井伏鱒二の作品におけるチェーホフ的なもの」 (チハルチシビリ著・
沼野充義訳) の一節を引用して、「『山椒魚』 はロシア人は 『賢いカマツカ』 と思う。」 とし、
井伏は 「賭け」 からヒントを得たというが、「チハルチシビリにとって、「賭け」でないことは
明々白々なのである。」 と両作品が似ていないことを強調している。

しかし、このチハルチシビリの記述は、「 『山椒魚』 と 『賢いカマツカ』 (=『賢明なスナムグリ』)
の物語は、一匹の魚の行動範囲が極めて狭い場所に限られた日常ということでは似ているが、
『山椒魚』 は思いがけない結末で全てが一転し両作品は異なるものになっている。『山椒魚』
の源泉は、『賭』 のほかにもう一つ、チェーホフの 『敵』 があるのではないか・・」 と読める。

つまり、チハルチシビリは、「賭」 が 「山椒魚」 の源泉であることを前提に、源泉はさらに
他にもあると考えてチェーホフの作品との深い関連を論じているのだが、その論旨はともかく、
「山椒魚」 は、「賢いカマツカ」 と似てはいるが、その行動限定の原因や筋、主題は全く異なり、
一方、「賭」 とは全く似ていないが、主題では 「賢いカマツカ」 ではなく 「賭」 に近いのである。

井伏は、早い時期から 「賭」 をヒントにしたと明かし、「鶏肋集」(S11) の記述から、「幽閉」執筆
の頃に英訳版のチェーホフ全集を持っていたことが窺える。また、この頃には日本語訳も存在
したし、「幽閉」 には、「賭」 の素材が直接反映した箇所があるとの論考もある。(「井伏鱒二
『山椒魚』作品論集」(クレス出版))。 このほかに、井伏には 「うちあわせ」(T14/1 <文學界>)
という短編があり、これらを合わせると、井伏が 「賭」 の影響を受けていることは確かといえる。

「賢いカマツカ」 については、「山椒魚(幽閉)」 執筆当時は、まだ日本語訳の出版はなく、井伏が
原文(ロシア語)で読んだとも考え難い。 猪瀬は 「井伏は英語版で読んだ。」 と書いているが、
英語版の存在を確認したのだろうか。次によれば、英訳は昭和6年(1931)が最初のようだが・・。

ロシア文学者 灰谷慶三(H18没:北海道大学) の一文の中に、次の一節がある。
(「書評 『シチェドリン選集 全8巻 未来社』」 (札幌大学学術情報リポジトリ))

「亡命ロシア人の文学史家スロニームは、「このために世界でもっとも偉大な
風刺作家シチェドリンもロシア以外では親しまれることが少ない」(『ロシア
文学史』) と述べているが、事実、テラス編纂の 『ロシア文学ハンドブック』
を見ても、シチェドリンの英訳は、 『大人のための童話』(1931,再版1977)、
『ゴロヴリョフ家の人々』(1977)、 『ある都市の歴史』(1982) の
わずか三点が挙がっているに過ぎない。」 (札幌大学サイトより)

相馬守胤著 「日本におけるシチェドリン紹介の歩み」 (「札幌大学学術情報リポ
ジトリ」 (札幌大学サイト)) に、関係文献や翻訳歴などが詳記されている。

当時、井伏との因縁があった片上伸早大教授はロシア文学者なので、情報を
得た可能性は否定できないが、種本に結びつくような資料は見当たらない。

猪瀬が 「ピカレスク 太宰治伝」 などで引用した 「賢明なスナムグリ」 は、戦後(S55(1980))の
日本語訳である。(得られた情報では、初めての日本語訳刊行は、昭和29年(1954)である。)
それでも種本隠蔽、盗作疑惑を指摘するなら、原本(種本)と 「幽閉」・「山椒魚」 の該当する
箇所について比較を示し、さらには、作品内容に踏み込むなどして論拠を明確にすべきだろう。


「井伏は、『賢明なスナムグリ』 を種本にし、そのことを隠蔽した。」 との指摘には無理があろう。
たとえ、井伏が同書を読んでいたとしても、内容的に盗作疑惑視することが適切か疑問である。

なお、「賢明なスナムグリ」 の題には 「童話」 が付く。「賭」 の初出稿(1889)の題は 「おとぎ話」
で全集収録時(1901)に第3章を削除して全2章の 「賭」 に改題した。 「山椒魚」 の初出時
(1929) の題は 「山椒魚-童話-」 である。 井伏が、あえて 「-童話-」 という副題を付けた
意味、ロシアの二作品との関係の有無など気になるが、関連の資料はまだ見当たらない。
ちなみに、「童話」 も 「おとぎ話」 も、原題は同じ 「
сказка」 である。

井伏が読んだのは、全2章の 「賭」 の方で 「おとぎ話」(全3章) ではないと思うが、
改稿時には 「-童話-」 の副題を付けた。 「賢明なスナムグリ」 が関係したかと想像
できなくもないが、そうであったとしても何らかの情報を得たというだけのことだろう。

また、評論家の谷沢永一は、猪瀬に全面同調して、「原作をなぞった写し取り」 とか、「種本を
はぐらかすためチェーホフの 『賭』 をヒントにしたと言っている」 と決めつけるが、自身が
どのように確認したかははっきりせず、猪瀬の小説をそのまま鵜呑みにしたかに思える。
両者以外の研究者らによる深い論考は見当たらず、猪瀬の指摘が一人歩きしているようだ。

ネット上では、猪瀬の指摘を事実と受け止める記述と否定する記述とが
入り交じっている。論拠についての本格的な論議が欲しいところである。

   ★ 「漢詩の和訳」(S8/10:10篇 と S10/3:7篇)

     江戸時代の訳 「臼挽歌」 があったが・・

井伏は、漢詩17篇の和訳を発表している。 「田園記」(<文学界>:S8/10)に10篇、
「中島健蔵に」(<作品>:S10/3)に7篇である。(後に多くの出版社が刊行
している「厄除け詩集」は、この17篇の訳部分を他の詩とともに収めている。)

井伏は、「この訳詩は亡父のノートからの抜粋」 として発表したが、近年の研究で、
これらの訳は江戸時代の「臼挽歌」(江戸中期の俳人中島魚坊(潜魚庵)訳)で、
井伏の発表作はその焼き直しであることが明らかになった。

その中で、于武陵の「勧酒」の訳 (「サヨナラだけが人生だ」で有名) だけは
井伏の独創性が際立つというのが一般的な評価である。

井伏は、「臼挽歌」の存在には気付かなかったようだ。
全17篇が妙訳であることは確かだが、「勧酒」のほかは “井伏の妙訳” は幻だった。

猪瀬直樹、相馬正一とも、寺横武夫(近代文学研究家)の論文 「『人生足別離』考」(1992/12)
<近代文学試論>)と、同 「井伏鱒二と『臼挽歌』(1994/6<解釈と鑑賞>) の二著を参照している。

文学関係者の間で 「臼挽歌」 の訳文が広く認識されたのは、戦後、それも相当に時間が
経ってからということだろう。太宰はこの臼挽歌の存在を知らなかったということも十分に
考えられ、「井伏さんは悪人です」 と書いたことの根拠作品に挙げるには無理があろう。

ちなみに、木山捷平は 「井伏鱒二」(S39/10 <群像>) の中で井伏の
訳詞に触れているが、「臼挽歌」 のことは全く知らない書き方である。


それはともかく、井伏が原典を確認しないままで発表したのは手抜かりで、現在の尺度
からすれば軽率かもしれないが、当時(昭和初期)の日本社会の一般的な認識に
照らせば、盗作呼ばわりされるほどに責められなければならないことか疑問である。


この詳細は、別項 「勧酒」(サヨナラだけが人生だ) に記したので参照ください。

 

   ★ 「青ヶ島大概記」(S9) と 「ジョン万次郎漂流記」(S12)

     種本は、「八丈実記」(近藤富蔵著) と 「中浜万次郎」(石井研堂著)

この二作については、早い時期から「種本」の利用が知られており、その評価が割れている。
原作は、江戸から明治初期にかけての実際の出来事を同時代の人が記録した文章である。

相馬正一は井伏独特の工夫が施された創作性が高い作品と評価し、一方で猪瀬直樹は、
原作をなぞって文体を変えただけのリライトであり、いい加減な作品作りと批判する。

一般読者は種本を読むことまではしない・・というより簡単には読めないので、
この点は研究者に委ねることになるが、創作性は低いという見方が有力のようだ。

しかし、そうであったとしても、「黒い雨」の場合と同様に、文学作品としての価値、
あるいは、井伏作品として発表したことが咎められるべきことかは別問題だろう。

私見だが、純粋な作品論はさておき、両作品とも井伏は発表時に「種本」を示している。

「青ヶ島大概記」 は、初出時(<中央公論> S9/3) の文末に (附記 この小説は八丈島の
流刑人「近藤富蔵の八丈実記」を種々引用した) とあり、直後に収録の 「逃亡記」(改造社
S9/4) の文末には、(附記 八丈島の流刑人近藤富蔵の「八丈実記」を引用した)とある。

「ジョン万次郎漂流記」の初出は、河出書房刊(S12/11) で、文中の 「六 ジョン万、米国に
帰航して再びホノルルに渡ること」 の項の中に (この顛末は前述の書「ゴールド・ラッシュ」
第三章に詳しく書いてある。石井研堂翁編「漂流奇談全集」から引用したといふことであるが
本書の内容もまた研堂翁の著「中浜万次郎」その他によるものである。) とある。

これでは不十分、あるいは、安易な作品作りである、との批判はあってもおかしくないが、
この場合、原作の成立時期・内容、種本として利用当時の時代性、社会の一般認識、
著者の立場、作品の出来映え、読者の受け止め方など総合的な判断が必要だろう。

「ジョン万次郎漂流記」 は直木賞受賞作品で特に目立つが、授賞には複数の選考委員が
関わっており、当時(S13)においてはこれらの問題がクリアーされていたと考えてよかろう。
(この時、「中浜万次郎」の著者石井研堂(慶応元年(1865)~S18(1943))は健在である。)
現在の状況、価値観を当てはめて盗作疑惑と問題視するのは如何かと思う。

「青ヶ島大概記」 は、太宰治が 「井伏鱒二選集 第2巻-後書」 で井伏による種本の書き換え
を自分が手伝ったことを明らかにしたことで話題になるが、これも 「ジョン万次郎漂流記」 と
同じように、創作性は低いとしても盗作疑惑と目くじらを立てるほどのことか疑問である。

近藤富蔵(1805~1887(M20))という流刑人が、当時の八丈島の自然、風俗、出来事などを克明に
記録した膨大な資料を残したことを後世に繋いだ文学作品という見方での評価は如何だろう。


== ま と め ==

* “盗作疑惑” の俎上にある井伏作品、「黒い雨」、「山椒魚」、「漢詩和訳」、「青ヶ島大概記」
「ジョン万次郎漂流記」 について確認してきたが、「黒い雨」 と他の作品ははっきり区別して
論ずべきだろう。「黒い雨」 には、題材と原作の重み、一般市民である原作者と高名な作家
とによる共同作業、結果としての評価の高さ、社会的反響の大きさ、などの特性がある。

猪瀬は、太宰治が書き遺した文言 「みんないやしい慾張りばかり 井伏さんは悪人です」
の意味を追究して、その根底には 「山椒魚」 など井伏の安易な作品作りがあるとし、
「黒い雨」はその延長線上にあると捉えたのだが、種本利用という意味では同じだとしても、
上記の特性や 「黒い雨」 までの経過年数からして、両者が同一線上にあるとは考え難い。

なお、猪瀬によれば、太宰が 「井伏さんは悪人です」 と書き遺した要因の一つは、太宰が 「賢明な
スナムグリ」や「臼挽歌」 の存在を知り、井伏がこれを種本にしたことを認識したということになるが、
太宰がいつどのようにこれを認識したか(できたか)については記述がない。論拠を示すべきだろう。

* 「山椒魚」については、”盗作疑惑” とするには論拠に疑問があり、初出時に井伏が「-童話-」
と副題を付けた意味、ロシアの二作品との関連有無などを含めて本格的な吟味が欲しい。
種本隠蔽、盗作などと声を荒げていいものかどうか、客観的な判断が必要だろう。

 「漢詩和訳」、「青ヶ島大概記」、「ジョン万次郎漂流記」については、創作性は低いという
見方が有力で、猪瀬のいう 「リライト」 であるとしても、盗作呼ばわりは行き過ぎだろう。

また、このことが太宰が遺した文言 「井伏さんは悪人です」 の意味の根幹かといえば、
それは短絡に過ぎよう。全く別の考察、論議が必要である。

* 井伏への盗作疑惑は、実体としては猪瀬による 「井伏の安易な作品作り」 批判といえる。

「ピカレスク 太宰治伝」 の主題に関して猪瀬が出した一つの結論なので、井伏が執筆
した当時の時代環境や執筆事情、作品価値、文学作品としての評価などへの言及は
副次的にならざるを得ないだろうが、世間に 「リライト」 や 「盗作」 を印象付けて井伏
の作品全体や作家としてのモラル、人格に誤解をもたらすようなことはないだろうか。

ちなみに、太宰治が書き遺した文言 「井伏さんは悪人です」 に関しては、
平成13年8月に太宰の手帳(S22・S23)の執筆メモが公開(刊行)された。

その中には 「井伏鱒二 ヤメロ といふ、」 に始まる一文(S23)がある。
「井伏さんは悪人です」 は、単に井伏の安易な作品作りをいうのでは
ないことは明らかだろう。 次の項目に詳記したので参照ください。


「井伏さんは悪人です」 :太宰治の遺書と手帳のメモ」

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長年気になっていたことで、ようやくUPしたが、あまりスッキリした気持になれない。

主要論者は、猪瀬直樹・谷沢永一(H23没) 対 .相馬正一(H25没)だが議論はかみ合わず、
また、研究者らによる関連の論述は、両者の見解を紹介する程度のもので歯切れが悪く、
このまま、うやむやで終わるような気がするからである。

猪瀬は、「ピカレスク 太宰治伝」 を発表すると、谷沢永一とともにメディアやネット上
でも激しい井伏批判を展開したが、近年は、この問題を取り上げていないようだ。

太宰の手帳の執筆メモが明らかになっているので、「井伏さんは悪人です」 の意味を
解くためには触れないわけにはいかないだろうし、「山椒魚」 の盗作疑惑についても
論拠の詳細な説明が欲しいところである。

来年(H30:2018)は、井伏生誕120年、太宰没後70年、
研究者、専門家らによる最新の見解、論考の発表を期待したい。


                       (井伏鱒二の「盗作疑惑」を解明する : H29/10 UP)
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