・・太宰治に関するミニ案内(#2411)・・
太宰 治の太平洋戦争中の小説

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昭和16年(1941)12月8日 日本軍による対英米軍事攻撃で太平洋戦争が始まった。

言論統制は一段と厳しく、著作物は検閲による発禁、削除や発表自粛が相次いだ。
多くの作家が発表を断念する中、太宰は題材やテーマを吟味し、表現を工夫し、
行間に思いを込め、あるいは読者に問いかけるなどの手法で懸命に発表を続けた。

評論家の奥野健男は「この時期の日本文学の空白、断絶を太宰一人が埋め、
支えているという感」(新潮文庫「惜別-解説」)」とさえ評する。

               1.太宰の太平洋戦争中の小説(脱稿ベース)一覧.

                       (小説表題頭部の「*」は戦争に直接関連する内容)
 発表 小説表題 参考 メモ 発表  小説表題  参考 メモ
S17/ 1   *新郎  開戦時4部作の第1作 S18/10   *作家の手帖  
S17/ 2   *十二月八日   同上 第2作  S19/ 1    *:佳日  ユーモア・9月映画化
S17/ 2  律子と貞子   同上 第3作 S19/ 1    新釈諸国噺  「西鶴」題材・後「裸川」
S17/ 5  水仙 S19/ 3    *:散華  アッツ島玉砕・実名小説
S17/ 6  正義と微笑  堤康久の日記が素材:長編 S19/ 5   雪の夜の話  掲載誌「少女の友」
S17/ 6   *待つ 〈注1)  開戦時4部作の第4作 S19/ 5  武家義理物語  「西鶴」題材・後「義理」 
S17/ 7   小さいアルバム  写真が題材の自伝的小説 S19/ 8   *東京だより  
S17/10  花火 〈注2)  検閲で全文削除 S19/ 8   花吹雪 〈注3)  ユーモア・黄村先生第2作
S17/12  *禁酒の心   S19/ 9   貧の意地  「西鶴」題材 
S18/ 1  故郷  実録作品:北・中畑に謝意 S19/10   人魚の海    同上
S18/ 1   黄村先生言行録   ユーモア・黄村先生第1作 S19/11   髭侯の大尽    同上
S18/ 4   鉄面皮  「右大臣実朝」関連 S19/11   津軽  故郷への旅:長編
S18/ 5   赤心  「右大臣実朝」関連掌編 S20/ 1   新釈諸国噺  「西鶴」12編、内7編初出
S18/ 6   帰去来  実録作品:北・中畑に謝意  S20/ 4  竹青  「聊斎志異」中1編の翻案
S18/ 9   右大臣実朝  「吾妻鑑」など題材:長編 S20/ 9  惜別 〈注4)   医学生魯迅が主題:長編 
S18/10   不審庵  ユーモア・黄村先生第3作  S20/10  お伽草子  「カチカチ山」など4篇
〈注1) 「京大新聞(S17/3)」用に依頼された原稿だが掲載されず、急遽、短編集「女性」(S17/6)に収録。
(注2) 検閲で、一般家庭に悪影響などの理由で削除。戦後「日の出前」と改題、短編集「薄明」(S21/11)に発表。
(注3) 「改造」(S18/7)用の原稿だが掲載されず、短編集「佳日」に収録、第2作だが第3作より遅い発表。
(注4) 「日本文学報国会」の呼びかけに応募し、依頼を受けて執筆したいわゆる「国策小説」。
                (主な参考資料:山内祥史著「太宰治の年譜」(2012/12:大修館書店)

・・上表作品中、別途、詳細を記した作品一覧(サイト内リンク)・・

   ・ 「新郎」-太平洋戦争開戦の日、急遽、原稿に加筆
  ・ 「十二月八日」-太平洋戦争開戦の日、100年後に
  ・ 「律子と貞子」-開戦の時、プロポーズは姉に?妹に?
  ・ 「待つ」-開戦の時、「私」は誰? 何を待つ?
  ・ 「太平洋戦争 開戦時四部作」ー「新郎」・「十二月八日」・「律子と貞子」・「待つ」
  ・ 「黄村先生言行録」・「花吹雪」・「不審庵」-滑稽噺 ”黄村先生三連作”で時勢に警鐘
  ・ 「散華」-三田循司君はアッツ島で玉砕
  ・ 「惜別」:執筆経緯と評価の疑問

               2.作品評価に関して


冒頭に記した評論家奥野健男は、さらに「困難な戦争期、これほど旺盛に、しかも
内容の深いすぐれた作品を書き続けた文学者は、ほかにいない。しかも決して
国家権力や軍国主義の状況に迎合した御用文学ではなく、芸術的な秘かな
抵抗であった。」(新潮文庫「ろまん燈籠-解説」)と評する。

しかし、一方で太宰の戦争関連作品には時勢への迎合、戦争礼賛が見られ、
戦争協力的であるという次のような論考がある。

・小田切秀雄「文芸時評 太宰にたいしての志賀」(S23/11「文芸」)
・高木知子「太宰治-抵抗か屈服か」(S58/4「戦争と文学者」)
・赤木孝之「太宰治と戦争(1)」(1994/8「戦時下の太宰治」)
・都築久義「戦時下の太宰治」(H12/6「太宰治研究8」)など

奥野は大甘で過剰な表現の感はあるが、私は基本的にこの見解に与したい。

確かに、作中には国のプロパガンダそのもの、あるいは戦死や銃後の戦争
協力行動を賛美する記述が混じるが、これは、厳しい検閲下で発表を可能に
するための太宰の工夫と見るべきで、真意は行間に読み取れると言えよう。

また、「惜別」に関しては、「国策小説」であることや魯迅の実像とは異なると
いった観点での批判から低い評価が定着している感があるが、作品内容や
行間を読むことで文学作品として再評価の必要があるのではないかと思う。
開戦という逃れられない現実に直面し、第一に戦勝を願い、国民として、作家
として、どのように生きるか、戸惑い、悩みながらの執筆だったに違いない。

特に開戦時の四部作は、目の当たりにした現実を記録し、自身の生き方、
胸の内を吐露し、読者にも問いかけるなどの手法で生々しい興奮、緊張感が
伝わる。戦況が悪化する中、ユーモア要素を主体にしたり、日常生活の
変化、苦衷を作品化するなど工夫を凝らし、戦争末期には西鶴やおとぎ話を
題材にした翻案作品が主体となった。

なお、「惜別」、「お伽草子」は戦中の脱稿、出版手配だったが印刷は戦後になった。
戦後は出版物にはGHQの検閲が必要になり、一字一句に厳しい制約があったが、
敗戦直後の混乱時にあって検閲を経ずに戦中の原稿がそのまま印刷、販売された
数少ない例ではないだろうか。「惜別」の奥付には「出版会承認番号」が付してある。

太宰は敗戦(S20(1945).8.15)を疎開先の生家(金木町)で迎えた。

終戦の翌9月には河北新報の依頼で「パンドラの匣」を同紙に連載することが
決まり、直ちに起稿した。太宰の文学は一般に「前期・中期・後期」の三期
に区分(サイト内リンク)
されるが、ここから「後期」に入る。旺盛な創作活動は
切れ目なく続くが、実人生は激しく揺れ、作風は大きな変化を見せることになる。
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                (本項「太宰治の太平洋戦争中の小説」・・2024/11UP)
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