太宰治「新郎」-太平洋戦争開戦の日、急遽、原稿に加筆

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==小説「新郎」の原稿は、太平洋戦争開戦(S16(1941).12.8)の前日には
完成していたが、開戦のニュースで、急遽、それに加筆したと推察する==

1.元原稿に加筆した箇所(推察)

  (1)元原稿(すでに完成していた原稿)の本文の後に、
    
    (昭和十六年十二月八日之を記せり。この朝、英米と戦端ひらくの報を聞けり。) を追記。

  (2)元原稿の本文の後半部、「私信」の次の行に、
    
    「このごろ私は、毎朝かならず髭を剃る。」から「この見事さを、日本よ、世界に誇れ!」までの
    約400字。身だしなみのことや、パンや酒は無くなっても花があると書いた部分を挿入。

  (3)元原稿の本文の結びに
    
    「ああ、このごろ私は毎日、新郎(はなむこ)の心で生きている。」を追記。

  (4)前(3)により、元原稿の表題を「新郎」に変更。

   *なお、三鷹駅前の馬車に関する記述に「けさ、花を買って帰る途中、三鷹駅前の広場・・」と
     あるが、この「花を買って帰る途中」の部分は微妙である。
     前段の書斎の花に合わせて加筆したと思うが、元原稿にあったとしてもおかしくはない。


2.「加筆」と推察した根拠

  (1)山内祥史によれば、この作品は昭和16年11月下旬頃から12月8日ころまでの執筆である。
    
    この11月中旬、国民総動員法に基づく国民徴用令により多くの作家ら文人が徴用された。
    11月17日に本郷区役所集合で身体検査を受けたが、太宰は不合格(徴用免除)となった。

    徴用で集結地の大阪に向かう井伏ら文学仲間を東京駅で見送った11月21日頃に起稿し、
    掲載誌「新潮」1月号の締め切りに合わせ、12月8日の前には仕上げていたと察せられる。
    
  (2)この間の12月2日付「都新聞」に、太宰は「私信」を掲載したが、同文を本作品の核心として
    再掲載している。当時の太宰の辛い立場での生き方を示す決意であり、本作品は開戦前の構想
    によって書き上げられていたと察せられる。
    
    発表作から加筆部分(上記「1.」)を削除した方が、この「私信」と終結部が違和感なく繋がり、
    自然に完結するように思える。

  (3)ところが、予期しない対米英開戦という重大時に直面して、元原稿のままでは、安易、軟弱な
    生き方で時局に不相応との誹りを受けかねない。そこで、開戦のことを記し、国民としての覚悟
    を新たにして生きるという決意を示さざるを得ず、時間的余裕のない中、急遽加筆したのだろう。

    (掲載誌「新潮」の編集者に、開戦や検閲を考慮するよう求められた可能性もあるだろう。) 

   ①まず、開戦を知って(S16.12.8)、元原稿の本文の後に、この事実を追記したことは理解できるが
    これにより、本作品は開戦後の執筆であることになり、本文の手入れも必要になったと察する。

   ②「私信」の次の行に始まる「このごろ私は、」~「世界に誇れ!」(上記1.-(2))がその手入れで
    開戦を知って覚悟を新たにした自らの姿勢を示し、戦勝を期す気概を読者に訴えた、つまり、
    本文の後への追記文言(上記1.-(1))と連動した太宰の開戦時の決意表明と察せられる。

    「世界に誇れ!」の次の行は、「私はこのごろ、破れたドテラなんか着ていない。」となる。
       ここは、徴用不合格の太宰が、従軍する井伏ら文学仲間の身を思い、自分も自らを
      律するという姿勢を示したもので、開戦日前の記述と察せられる。

    注目したいのは、本文中に「このごろ」、「私はこのごろ、」と「このごろ私は、」があること。

      前二者の「このごろ」は、日米交渉難航、文人徴用、井伏らは従軍のため外地へ出発、自分
      は不合格の身、作家としても道半ばで、一方、6月には初めての子(園子)が生まれて半年、
      太宰にとって特別の感慨がある状況を指し、それが冒頭の「一日一日を、たっぷりと生きて」
      以下に繋がり、開戦前に書いた元原稿と察せられる。
      後者の「このごろ私は」の「このごろ」は、「対米英開戦」を指し、加筆部分を示すと読める。

   ③本文の結びの一文(上記1.-(3))は、元原稿では、「馬車に乗って銀座八丁を練り歩きたい。」
    で完結することになり、平時感、ノンビリ感が強すぎる、時局不相応などを判断したのだろう。
    そこで、詠嘆調で「このごろ私は」と時局意識の表現を加えた、つまり開戦後の追記と察する。
    
    ただ、「新郎(はなむこ)の心」には唐突感があり、どう解釈するか戸惑うが、聖書での「新郎」は
    キリストを指すとのこと、ここで太宰は、聖書の教えを大事にして生きることをあらためて強調
    して結んだのだろう。

   ④表題「新郎」は、この結びから採っているに違いないので、元原稿の表題を変更したことになる。
    元原稿の表題は全く不明だが、例えば「赤心」はあり得るような気がする。(後記4.-⑤)

    *作品は、予定通り、雑誌「新潮」(昭和17年1月号・・奥付に12/22印刷)に掲載された。


3.「新郎」に込めた太宰の思い、真意(文面と行間)


     執筆時における太宰周辺の状況と太宰の立場については、次の別記項目に詳記

          太宰治「十二月八日」-太平洋戦争開戦の日、決意新たに!

 (1)作品の内容(文面)
 
  ①書き出しの「一日一日を、たっぷり生きて行くより他はない。」が作品の主題で、私は、明日のこと
    を思い煩わず(註1)、きょう一日を真心をもって精一杯生きたい。家族にも世の中の人にも優しく
    接し、来客、来信には誠意を持って真摯に応対する。ごまかしや、きたない打算はやめる。
    「率直な行動には悔いは無い、あとは天意にお任せするばかりなのだ。」と書く。
   
  ②次いで、本作品の核心として「私信」(=随想:12月2日付「都新聞」掲載)の文章をそのまま再掲載
    して、太宰の”このごろの心情”を示し、赤心をもって無邪気に信じ「私は文学を、やめません。
    私は信じて成功するのです。」という決意を読者に披瀝している。(註2)

  ③そして、このごろは私は、身だしなみは細かいところまで配意し、書斎には花を飾る。「ああ、日本         
    は、佳い国だ。」、パンは無くても花は豊かだ。「この見事さを、日本よ、世界に誇れ!」とし、

  ④さらに「私はこのごろ、破れたドテラなんか着ていない。」、「どうしてだか、紋服を着て歩きたくて
    仕様がない。」 と続け、生家(津島家)の紋服を着た姿で馬車に乗り、銀座を練り歩きたい。
    「ああ、このごろ私は毎日、新郎(はなむこ)の心で生きている。」と結んでいる。

    (註1)この部分は、聖書「マタイ伝 6-34」から採っている。
    (註2)「私信」の中に、「明日の事を思うな、とあの人も言って居られます。」とあるが、
        「あの人」は「キリスト」である。

 (2)太宰の思い、真意
 
    作品全体を通じて、太宰は日中戦争下の日本と自分の境遇を受け入れて毎日を過ごしている。
    我慢していれば日本は成功する、大臣の言葉を信じよう、と家族に言い聞かせている。
    厳しい時勢を真摯に生き抜く姿勢が伝わるが、これだけが太宰の思い、真意だろうか?

  ①まず、開戦を知って(S16.12.8)、開戦の事実を追記(上記1.-(1))したのは理解できるが、加筆
    した「このごろ私は、毎朝必ず髭を剃る。」~「世界に誇れ!」(上記1.-(2))は、あまりにも
    大袈裟というだけでなく、前後との関係の不自然さが目立つ。
    
    身だしなみ関連は、いつでも命を捧げる覚悟表明のようだが、執拗で大袈裟過ぎる表現であり、
    続けて、”パンや酒は無くなっても花を世界に誇れ!”になると太宰の本気度を疑わざるを得ない。
    
    文面上は、まさに”欲しがりません勝つまでは!”で、戦争協力、戦意高揚だが、これは太宰流の
    道化表現で、”私の思いを察してくれ!”と叫んでいるようにも思えるが如何だろう。
    開戦に対する、太宰の失望、落胆あるいは自棄の表現と解したい。

  ②開戦を知る前の元原稿においても、太宰は日中戦争が続く中で徴用を受けて、戦争をより身近に
    感じるようになり、庶民の食卓は貧しい、があるところにはあるという社会の現実や、小学校教師
    の応召を書き、買い溜めはやめよう、 世俗にまみれず、大臣の言葉を信じ、将来を信じることに
    よって成功する、と赤心を強調する。が・・、
    
    ここでも、先行き不安だらけの現実や、社会の歪、体制への懸念を示し、大袈裟に道化的表現に
    よって信じることを自らに言い聞かせている。単純な体制順応、追従とは読めない。

  ③そして、それが結末の部分ではっきりする。
    
    ここは、自分は生家から勘当の身、徴用は不合格の不甲斐なさ、作家としても道半ばながらも、
    厳しい時勢を、覚悟も新たに一日一日を誠実に精一杯生きているが、先行き不安が増すこのごろ
    を思うと、一日も早く許されたい、晴れて生家(津島家)の紋服を着た姿で馬車に乗り、銀座を練り
    歩きたいという願望で、太宰が「善蔵を思う」(S15)に書いた”衣錦還郷”の念の吐露だろう。

    さて、馬車に乗り、晴れやかに銀座を練り歩くことは、太宰個人の成功だけでは実現できない。
    平和でなければならない。太宰が心底欲したのは、戦争ではなく「平和」だったといえよう。
    
    文人徴用で井伏らは従軍のため外地へ出発、時勢は太宰の思いとは逆方向に動いている。
    そして「開戦」を知り、驚きとともに失望、落胆したが、戦争には勝たねばならぬとの思いが強い。
    「花を世界に誇れ!」の部分にある異常なほどに昂った表現は、落胆を道化にするしかなかった
    と察せられる。

    作品の締めを「ああ、」と詠嘆調にして、”新郎(はなむこ)の心”とルビを付し、キリストの教えに
    従って生きること、つまりは文学を続けることをあらためて追記、強調したのも、自分が求める
    方向への展開を願う気持ちを込めたものだろう。


4.最後に(作品評など)

   専門家による作品評価は、体制順応的、あるいは、紋服での馬車は安易、歴史意識が薄いといった
   批判がある一方で、弱者の立場である太宰の意識、生き方、その表現方法に理解を示す好意的
   評価が見られるなど、評者の視点、論点は一様ではなく、定まっていない。

   以下、私見(推測・想像)を記すが、専門家の評は本作品は開戦時に書かれたという視点からで、
   本項のように、すでに元原稿があり、開戦時に、急遽、一部を加筆したという見方はなさそうだ。

  ①脱稿は開戦後に違いないが、元原稿は「私信」を核にしてコンパクトにしっかりとまとまっている。
   太宰の胸中にある作家としての成功、平穏な国家、社会、幸せな家庭という思いは、赤心を貫く
   ことで実現できると自らに言い聞かせる、その姿は軽い道化とともに、それなりに読者に伝わる
   好著だった。

  ②ところが、開戦によって加筆、これで開戦、大戦争を表に出し、自分の思いを薄めた。
   しかし、この時の太宰の思い、真意は、開戦有無とは関係がないので、一層大袈裟な道化表現や、
   結びの文言、表題変更まで必要になり、作品の性格は一変した。

  ③太宰にとっては想定外の悔しい開戦だったろう。自棄気味の加筆がそれを物語っている。
   
   それにしても、結びの「新郎(はなむこ)」の解釈は難しい。
   一日一日をたっぷり生きる心と読んでいいと思うが、キリストを待ち受ける運命は十字架であり、
   開戦という時局から「死の覚悟」の意味を重ねているのかもしれない。
   
   元原稿の場合には、この一文がないと察するので、自身の成功と平和を願う心情が余韻をもって
   読者に伝わるが、開戦となっては、その願望を前面に表すことは憚られるし、いわば前提が変化
   してしまったので冒頭に戻って聖書を引き合いに努力の継続を強調して締めたのだろう。

   締め切りに追われた加筆で、太宰としては不本意な作品になったと察するが如何だろう。

  ④表題の「新郎」は「しんろう」と読むのか「はなむこ」なのかの問題がある。
   
   一般には「しんろう」と読まれるが、一部に聖書所縁なので「はなむこ」と読むべきとの指摘もある。
   それだと、表題は「キリスト」ということになり、作品内容に照らして如何だろう。
   
   本文の「新郎(はなむこ)」は、太宰が手にした聖書(翻訳)のままで、表題を「新郎」としたときにルビ
   を付さなかったのは、読者が「しんろう」と読んで、聖書とは関係なく、妻や子、家族の幸せを一途
   に思う実際の新郎をイメージすることを意図したのではないだろうか。 

   「新郎」の表題が最適かはともかく、読後には太宰の聖書の巧みな利用が印象付けられる。

  ⑤その元原稿の表題だが、本文中の「私信」に「一寸の虫にも五分の赤心がありました。」とある。
   
   「赤心がある」でなく「ありました」である。一寸の虫は太宰自身であることをはっきりさせ、弱い、
   不甲斐ない自分だが、自分にも赤心は確かにある。これからの日本の、そして自分の運命を信じて
   「文学を、やめません。」となる。
   
   元原稿の表題は何か全く不明だが、「赤心」だったと想像して、開戦となって「新郎の心」で締めた
   ことに伴い表題も変更したと考えるが如何だろう。

  ⑥最後に、太宰にとってこの加筆作業は辛かっただろう。開戦に伴いその事実を書く必要に迫られ、
   聖書に始まり赤心による含蓄ある結末だった元原稿は、聖書に始まり聖書で閉じることにした。
   
   しかし、太宰の作品に込めた思い、真意は変えていない。
   太宰の臨機応変、いわば作家としての神対応だったといってよかろう。

   開戦時の心情を後に振り返った記述や作品は多いが、本作品は、図らずも開戦日の直前と当日の         
   心情、揺れをリアルに反映したユニークな作品になった。
   
   当時の国民の多くに共通した思いだったかもしれない。
   より多くの人に読んで欲しい、興味深い小品である。

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以上、「新郎」を読みながら、推測、想像が主体ですが私見を記しました。
それなりに熟読し、参考書も調べました。
「元原稿に加筆」は確信に近い思いになりました。
小説のこんな読み方も一興かと思います。

・・主な参考図書・・
「太宰治全集第四巻-解題(山内祥史)」(筑摩書房:1989/12)
「太宰治全作品研究事典」(神谷忠孝・安藤宏編:勉誠社:H7/11)
「太宰治大事典」(志村有弘・渡部芳紀編:勉誠出版:H17/1)
「戦時下の太宰治」(赤木孝之著:武蔵野書房:1994/8)
「太宰治研究 13」(山内祥史編:和泉書院:H17/6)より
「大仰な「新郎」」(奥出健著)
「太宰治の年譜」(山内祥史著:大修館書店:2012/12)


なお、太宰はこの「新郎」に続けて、いずれも短編ですが、
12月(S16)中には、「十二月八日」、「律子と貞子」を、
1月(S17)には「待つ」を脱稿しました。
          
この「開戦時3篇」も熟読して、HPにUPしたいと思います。
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別記 「太宰治(人生と作品)」

別記 「太宰治 : 作品一覧」 


別記=太宰治「十二月八日」-太平洋戦争開戦の日、決意新たに! 

別記=太宰治:「黄村先生言行録」・「花吹雪」・「不審庵」


(ご参考) 昭和16年(1941)~昭和17年(1942) 太宰の身辺と執筆、発表作など一覧
 時代背景・太宰の身辺など 主な執筆・発表作品など

昭和16年

(1941)
 

S12/7~日中戦争続く(いわゆる泥沼化)

 /4 日ソ中立条約締結
 /4 日米交渉開始
 /6 独ソ戦開始
 /6 長女園子誕生
 
 
/8 米国、対日石油禁輸
 /8 義絶中も、母見舞いで生家訪問
 /9 太田静子来訪=初対面-S22「斜陽」

 /9 徳田秋声「縮図」、新聞連載中断
 /10 東条内閣成立
 /11 文士徴用、井伏ら南方へ1年間
 (太宰は肺疾患のため徴用不合格。
  文学活動継続

 /12.8 アジア・太平洋戦争開始
 (日本軍、マレー半島・ハワイ攻撃)


S15/12-S16/6 「ろまん燈籠」<婦人画報>6回連載
 /1 「東京八景」<文學界>発表
 /1 「みみずく通信」<知性>発表
 /1 「佐渡」<公論>発表
 /1 「清貧譚」<新潮>発表
 /2 「服装に就いて」<文藝春秋>発表

 /5 短編集『東京八景』(実業之日本社)刊行
 /6 「令嬢アユ」<新如苑>発表
 /6 「千代女」<改造>発表
 /7 初の長編『新ハムレット』(文藝春秋社)刊行
 
 /11 「風の便り」<文學界>発表
 /11 「秋」<文藝>(「風の便り」の完結部)発表
 /11 「旅信」<新潮>(「風の便り」の中間部)発表
 /12 「誰」<知性>発表(脱稿:S16/10中旬)
 /12 .2 「私信」<都新聞>(文藝「大波小波」欄掲載)


昭和17年

(1942)

 
 /2 阿佐ヶ谷会将棋会御岳遠足参加
   色紙に寄せ書き、戦地の井伏らへ

 /2 日本軍、シンガポール占領

 /5 日本文学報国会結成-戦争協力

 /6 日本軍ミッドウェイ海戦敗北
 /8 米軍ガダルカナル上陸

 /9~「横浜事件」-思想・言論の弾圧
  (強力検閲、出版の統制・整理続く)

 /10 母重態、妻子を連れて帰郷
    〈妻子は 初訪問)

 /11 第1回大東亜文学者大会開催
 /11 井伏、徴用解除で親密交遊再開
 /12 母逝去で単身帰郷

 
 /1 「恥」<婦人画報>発表脱稿:(S16/11上旬)
 /1 「新郎」<新潮>発表(脱稿:開戦日(12/8)頃)
 /1 「待つ」脱稿し<京大新聞>に送稿も時局不相応で
    掲載なく、/6 短編集『女性』(博文館)に収載発表
 /2 「十二月八日」<婦人公論>発表(脱稿:12/20頃)
 /2 「律子と貞子」<若草>発表(脱稿:S16/12下旬)
 
 /4 短編集『風の便り』(利根書房)刊行
 /5 「水仙」<改造>発表(脱稿:4月上旬頃)
 /5 短編集『老ハイデルベルヒ』(竹村書房)刊行
 /6 長編『正義と微笑』(錦城出版社)刊行(脱稿:/3)
 /6 短編集『女性』(博文館)刊行・・「待つ」初出。
 /7 「小さいアルバム」<新潮>発表(脱稿:6月上旬頃)

 /10 「花火」<文藝>発表、直ちに当局命令で全文削除
 /10 「帰去来」脱稿(帰郷が題材:初出はS18/6)
 /11 「黄村先生言行録」「故郷」「禁酒の心」執筆・脱稿
 
(執筆・発表状況の主な資料は、山内祥史の「太宰治の年譜」および「全集-解題」(筑摩書房刊))
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                    (本項(太宰治「新郎」-太平洋戦争開戦の日、急遽、原稿に加筆) R4/6UP)