初出年月 | タイトル | 区分 | 巻 | 記述内容メモ | 初出紙誌 | |
1 | S19/10 (1944) |
跋に代へて ―「花ざかりの森」 |
評論 | 26 | ・林富士馬に親炙し、立原、中原、太宰 より身近い痛さをもって感得。 |
「七丈書院」刊 |
2 | S21/12 (1946) |
会計日記 (日付:S21.12.14) |
その他 | 補巻 | ・「飲み会に出席し、太宰と亀井に 会った」との記載。 |
この日記の公開は H17(2005) |
3 | S22/1 (1947) |
高橋清次宛 (S22.1.9 書簡) |
書簡 | 38 | ・創作は豊島さんと太宰さんが面白 そう。(太宰は「トカトントン」) |
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4 | S22/6 (1947) |
高橋清次宛 (S22.7.27 書簡) |
書簡 | 38 | ・伊藤整を「地獄」で、太宰(例えば トカトントン)よりも遥に信用する。 |
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5 | S22/7 (1947) |
清水基吉宛 (S22.7.27 書簡) |
書簡 | 38 | ・太宰と石川淳は時代の残滓。高貴な 文学の卑賎な裏切り者、小者。 |
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6 | S22/10 (1947) |
川端康成宛 (S22.10.8 書簡) |
書簡 | 38 | ・「斜陽」3回分を読み、完成に不安感 と期待を示すが批判は無し。 |
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7 | S23/2 (1948) |
文芸時評 | 評論 | 27 | ・太宰の「犯人」には「花火」にあった 最も大切な「的確さ」が全く欠如。 |
S23.2.17-18 「時事新報」 |
8 | S23/9 (1948) |
没落する貴族たち | 評論 | 27 | ・太宰の文学的稚臭が「斜陽」で没落 貴族の悲劇を一般化したともいえる。 |
S23/9 「婦人公論」 |
9 | S23/1 (1948) |
そぞろあるき ―作家の日記 |
評論 | 27 | ・6/12(土)亀井と講演。S21暮に 太宰と共に会って以来1年半ぶり。 |
S23/11 「芸苑」 |
10 | S24/3 (1949) |
船橋聖一との対話 対談/船橋聖一 |
対談 | 39 | ・太宰には原罪観念、倫理観が無いから デカダンスが感じられない。 |
S24/3 「文学界」 |
三島 24歳 |
(参考) S24/7 「仮面の告白」刊行 |
・大蔵省を辞めて、作家に専念 | ||||
11 | S24/12 (1949) |
檀一雄宛 (S24.12.16 書簡) |
書簡 | 38 | ・太宰の文学に関しては、私は最も敵意 ある、冒涜的な読者。 |
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12 | S24/12 (1949) |
芸術の危機ー 文芸時評1 「東京新聞」 |
評論 | 27 | ・加賀淳子「浮雲城」の華族の軽薄、 空疎さは太宰の偽華族より・・。 |
S24.12.29 「東京新聞」 |
13 | S25/2 (1950) |
朝日新聞インタビュー: 物天気図 三島由紀夫 |
/ | / | ・「太宰は滅亡的センチメンタリズム。 太宰は大きらい。」と、自ら発言。 |
S25.2.4 「朝日新聞(夕刊)」 |
14 | S25/4 (1950) |
創作批評 対談/河上徹太郎 |
対談 | 39 | ・太宰の死は、ギャップの喜劇としての 時代性しか持たない。 |
S25/4 「風雪} |
15 | S25/8 (1950) |
檀一雄「元帥」について | 評論 | 27 | ・檀一雄著「元帥」の書評。太宰を一種 の浪漫主義的天才と表現。 |
S25/8 「人間」 |
16 | S26/1 (1951) |
言ひがかり | 評論 | 27 | ・太宰のアンケ回答「願ったって何も 出来やしねえ」を引用(大宰評なし) |
S26.1.4 「朝日新聞(大阪)」 |
17 | S26/6 (1951) |
批評に対する私の態度 ―批評家に小説が分かるか |
評論 | 27 | ・太宰が志賀に負けたのは志賀文学を 理解した故。理解した方が負け。 |
S26/6 「中央公論 文芸特集」 |
18 | S29/1 (1954) |
福田恆存宛 (S29.1.3 書簡) |
書簡 | 38 | ・加藤道夫君の死は太宰や原民喜の如き 被害妄想売りがなく美しい。 |
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三島 29歳 |
(参考) S29/6「潮騒」刊行 |
4 | ・「新潮社文学賞」受賞 | |||
19 | S29/8 (1954) |
女神 | 小説 | 5 | ・客人が太宰の心中を話題にし、主人公 は興味を持った。 |
S29/8~S30/3 「婦人朝日」 |
20 | S29/10 (1954) |
まへがき 「創作代表選集14」 |
評論 | 28 | ・文学的傾向の情緒的統一は太宰の時代 が頂点で以降は下り坂。 |
S29/10 「講談社」刊 |
21 | S30/11 (1955) |
小説家の休暇 | 評論 | 28 | ・治りたがらない病人、自分の弱さを 題材にするなどと強い嫌悪を表明。 |
S30/11 「講談社」刊 |
22 | S31/1 (1956) |
無題 第二回「新潮」 同人雑誌賞選後評 |
評論 | 29 | ・私は名代の太宰文学嫌いで、太宰の 一寸した匂いがしてもダメ。 |
S31/1 「新潮」 |
三島 31歳 |
(参考) S31/1-10 「金閣寺」連載 |
6 | ・「読売文学賞」受賞 | |||
23 | S31/2 (1956) |
奥野健男著「太宰治論」 付録 「出版だより」 |
評論 | 29 | ・太宰との対面時に嫌いと言ったなど 自分と太宰、奥野との違いをPR |
S31/2(本体付録推薦 文)「近代生活社」刊 |
24 | S31/9 (1956) |
ボディ・ビル哲学 | 評論 | 29 | ・破滅型の坂口や田中英光、太宰も 頑丈。自ら心身を不均衡にした。 |
S31.9.20 「漫画読売」 |
25 | S32/4 (1957) |
キーン・ドナルド宛 (S32.4.30 書簡) |
書簡 | 38 | ・「人間失格」を翻訳とのこと、自分は 太宰嫌いだが意味深いと思う。 |
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26 | S32/5 (1957) |
コリン・ウィルソン著 「アウトサイダー」をめぐって | 評論 | 29 | ・日本では太宰「人間失格」が代表格 だが、市民に許された甘えっ子。 |
S32.5.6-8 「東京新聞(夕刊)」 |
27 | S33/3 (1958) |
心中論 | 評論 | 30 | ・若者の心中には大宰などの中年者の 不潔さがない。 |
S33/3 「婦人公論」 |
28 | S33/4 (1958) |
裸体と衣装 (日記 S33.8.25) |
評論 | 30 | ・太宰のことを米国の編集者に問われ、 「大きらい」と答えた。 |
S33/4~S34/9 「新潮」 |
29 | S33/7 (1958) |
作家と結婚 | 評論 | 30 | ・僕の中に大宰的要素はある。 それが外から見えるのは嫌。 |
S33/7 「婦人公論」 |
30 | S34/11 (1959) |
劇作家のみたニッポン 対談 /テネシー・ウィリアムズ | 評論 | 30 | ・太宰が嫌いな理由は、感情がロマン チックで自分の弱さを宣伝するetc. |
S34/11 「芸術新潮」 |
三島 36歳 |
(参考) S36/1「憂国」刊行 |
20 | ・右翼志向を強める。 | |||
31 | S36/3 (1961) |
野生の敗北―文学座の 地獄のオルフェウス」 |
評論 | 31 | ・T.ウィリアムズが太宰の「斜陽」に共感 しているのは面白い。 |
S36.3.26 「朝日ジャーナル」 |
32 | S37/2 (1962) |
青春の荒廃 中村光夫「佐藤春夫論」 |
評論 | 32 | ・太宰は佐藤の教理に従って反アドルフ 的文学と生活破滅を演じた。 |
S37.2.25 「朝日ジャーナル」 |
33 | S37/12 (1962) |
第一の性―男性研究講座、 男性人物講座 | 評論 | 32 | ・暴君的亭主はデリカシーの一タイプ。 如実に描いたのが太宰の「桜桃」。 |
S37/12~S39/12 「女性明星」 |
34 | S38/1 (1963) |
私の遍歴時代 | 評論 | 32 | ・自伝:二項目で太宰との対面を書き、 太宰を強烈批判…不実の記述あり。 |
S38.1.10~S38.5.23 「東京新聞(土曜)」 |
35 | S39/1 (1964) |
七年後の対話 対談/石原慎太郎 |
対談 | 39 | ・自意識において破滅する作家は 太宰治みたいなのをいう。 |
S39/1 「風景」 |
36 | S39/4 (1964) |
キーン・ドナルド宛 (S39.4.15 書簡) |
書簡 | 38 | ・キーンの「太宰治集」解説に対し、 正しい批判もあるなど賛辞。 |
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37 | S39/5 (1964) |
文学における硬派 日本文学の男性的原理 |
評論 | 33 | ・太宰は硬派的エモーションを軟派的に 誤用して自己崩壊した。 |
S39/5 「中央公論」 |
38 | S39/5 (1964) |
NHKラジオ:インタビュー 作家訪問・三島由紀夫 |
/ | / | ・高校生の質問に「自分は太宰に似た ところがある。違う立場を堅持する。 |
(文字起こし)H24/5 「太宰治研究24」 |
39 | S39/9 (1964) |
現代作家はかく考える 対談/大江健三郎 |
対談 | 39 | ・「斜陽」批判の理由は、風俗的な 真実はその時代には大事だから。 |
S39/9 「群像」 |
40 | S41/3 (1966) |
推薦者のことば 「大江健三郎全作品」 |
評論 | 34 | ・太宰以来、大江に至って日本の 現代は初めてその「時代病」を発見。 |
S41/3 (内容見本) 「新潮社」刊 |
41 | S41/8 (1966) |
無題 ―フシギな男三島由紀夫 |
評論 | 34 | ・外形哲学-男は力に溢れてるべき。 青年の太宰かぶれは気になる。 |
S41.8.1 「平凡パンチ」 |
42 | S41/9 (1966) |
テネシー・ウィリアムズ のこと |
評論 | 34 | ・太宰の英訳は秀逸も、好きは困る。 氏の作品の弱点に太宰的がある |
S41/9 「悲劇喜劇」 |
43 | S41/10 (1966) |
対話・日本人論 対談/林 房雄 |
対談 | 39 | ・太宰は今でも青年にアピールし、 自己憐憫、弱さの表白が受ける。 |
S41/10 「番町書房」刊 |
44 | S42/6 (1967) |
自衛隊を体験する:46日間 のひそかな”入隊” |
評論 | 34 | ・私の「太宰は人間の弱さを強調する ので嫌い」に防大生から反論あり。 |
S42.6.11 「サンデー毎日」 |
45 | S42/10 (1967) |
青年論―キミ自身の 生き方を考へるために |
評論 | 34 | ・マンの「トニオ・クレーゲル」は勧め ない。太宰のように青年を甘やかす。 |
S42.10.5 「平凡パンチ」 |
46 | S42/11 (1967) |
無題― 「坂口安吾全集」推薦文 |
評論 | 34 | ・太宰がもてはやされ、坂口が忘れ られるのはおかしい。 |
S42/11 「冬樹社」刊 |
47 | S43/1 (1968) |
武器の快楽 対談/大藪春彦 |
/ | / | ・太宰は才能ある立派な作家だが存在は 唾棄すべき。 |
S43.1.9 「週刊プレイボーイ」 |
48 | S43/4 (1968) |
私の文学を語る 対談/秋山 駿 |
対談 | 40 | ・浪漫派の作品について「太宰のある ものとか、いいものはいい。」 |
S43/4 「三田文学」 |
49 | S43/4 (1968) |
対談・人間と文学 対談/中村光夫 |
対談 | 40 | ・大宰人気は青年だけ・太宰は自分は ピエロという。それが最も嫌い。 ・太宰は自分が下降し、上昇を否定。etc. |
S43/4 「講談社」刊 |
50 | S44/3 (1969) |
壮麗なる”虚構”の展開 | 評論 | 35 | ・太宰のような自己崩壊を重ねる文士の 自殺は軽蔑する。 |
S44.3.30 「朝日ジャーナル」 |
51 | S44/4 (1969) |
国家革新の原理-学生 とのティーチ・イン 討論 |
対談 | 40 | ・自分は太宰と対照的な方向へ行くが 根底に太宰と触れるところがある。 |
S43.6.16 (於・一橋大学) |
52 | S44/9 (1969) |
「春の雪」について (プルーストは……) |
評論 | 35 | ・私が書いた貴族生活は太宰が書いた 「斜陽」のようなイカサマではない。 |
S44/9 「芸術座プログラム」 |
53 | S45/1 (1970) |
道理の実現 ―「変革の思想」とは |
評論 | 36 | ・石川達三の「太宰が持ったような一種 の自己崩壊への願望」を引用。 |
S45.1.19・21・22 「読売新聞(夕刊)」 |
54 | S45/5 (1970) |
三島文学の背景 対談/三好行雄 |
対談 | 40 | ・太宰批判は「芸術と生活の二元論」 から。一元化は両方をだめにする。 |
S45/5「国文学 解釈 と教材の研究 増刊」 |
55 | S45/7 (1970) |
エロスは抵抗の拠点になり 得るか 対談/寺山修司 |
対談 | 40 | ・太宰の「斜陽」の敬語の間違いには 耐えられない。 |
S45/7 「潮」 |
56 | S45/12 (1970) |
破裂のために集中する 対談/石川淳 |
対談 | 40 | ・大宰みたいに、私はピエロですよと いうのはとっても許せない。 |
S45/12 「中央公論」 |
三島 45歳 |
(参考) S45(1970).11.25 死去 |
市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部 で隊員に決起を促した後、割腹自殺。 |
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「太宰治と三島由紀夫の対面と三島の「嫌いです」発言の真相」
「太宰治と三島由紀夫の対面・会話の実際と三島の”太宰嫌い”」
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(本項「太宰治に関する三島由紀夫の評論、発言、書簡など一覧」 R6/12 UP)