・・太宰治に関するミニ案内(#2501)・・

太宰治著『津軽』の「挿絵」-現在も続く、戦争・敗戦の影響

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*.初版の「挿絵」は太宰の自筆!

  太宰治著『津軽』(初出・S19/11:小山書店)には「津軽図」など挿絵5点が載っている。

   ・「津軽図」(P38) ・「あすなろう小枝 リンゴ花」(P73) ・「エンツコ図」(P127)
   ・「津軽富士ト津軽平野」(P194)   ・「小泊 たけの顔」(P267)

  この挿絵について、太宰の妻美知子は次のように書いている。

   「『津軽』の初版の出版されたのは、昭和19年11月で、このとき、自筆の津軽
    略図と、挿絵を入れています。」
(近代文庫『津軽・惜別-後記』(S29/10:創芸社)

   「太宰は、『諸国噺』の凡例で、西鶴を世界一の作家としているが、西鶴の著作の
    中には本文、題簽、奥附等の文字から挿絵の版下まで西鶴自身やってのけている
    ものがあり、それを忠実に収載しているこの『西鶴全集』で接しては、太宰も脱帽
    しないわけにはいかなかったろう。太宰が『津軽』に自筆のさしえを入れたのは、
    その影響かもしれない。」
(『回想の太宰治-新釈諸国噺』(S53/5:人文書院))


  図絵に添えられた文字の筆跡や図絵そのものに自筆が否定されるような要素はない。
  本書中に「挿絵は太宰治の自筆」との表示はないが、この初出(S19/11)単行本に
  載った挿絵5点は、太宰の自筆と認められる。

     ちなみに、評論家関井光男は、根拠は示していないが、この初出本の図絵は太宰自身が
     描いた「自筆図絵」 である、としている。(『太宰治全集 第7巻-解題』(S51/7:筑摩書房))

*.現在の全集、文庫本などの「挿絵」  

  現在は、これらを初版本で見ることは難しく、戦後発行の刊行物で見ることになるが、
  
 身近にある全集、文庫本などの書籍、アルバム・図録などに載る挿絵の大半は初版本
   とは微妙に異なっている。
  
  そこに「著者(太宰治)自筆」と表示している刊行物も多いが、太宰の自筆に拠るものか
   疑問なものもある。
   
   例えば地名で「三厩」・「十三湖」が「三廊」・「十三浦」となっている、あるいは、
   文字や線が明らかに初版とは異なる「津軽図」がある。
   そのほかの挿絵についても同じことがいえる。

   確認できた範囲でだが、5点の挿絵が載った刊行物で5点すべてが初版本と同じに
   見えるのは、次の二点である。
   『津軽』(復刻版:1992:日本近代文学館)
   『太宰治全集 6-津軽』(1990:筑摩書房)

*.「挿絵」にもGHQの検閲の影!

  小山書店は太宰の死の直後に再出版(S23/10)したが、挿絵5点中の1点である
   「津軽富士ト津軽平野」は載っていない。
   これは、当時の出版にはGHQの検閲があり、軍事色の強いもの、国体賛美に関する
   ものなどは問題にされ富士山の絵にすら神経をとがらせていたので、それとの関係と
   察せられる。

   そして、掲載の「津軽図」など4点の挿絵は初版本とは微妙に異なる。(下図参照)
   戦後の刊行物にはこの再出版本の図絵に酷似したものが多くある。

   
 (サイト内関連別項目太宰治(人生と作品)-『津軽』自筆挿絵のこと参照)

  小山久二郎著「ひとつの時代ー小山書店私史ー」(S57・六興出版)によれば、
   小山書店や関連の印刷所などは、昭和19年末から再々の空襲や建物強制疎開で
   混乱していた。 『津軽』の発行は昭和20年1~2月頃とある。

   初版の原図の所在は確認できない。
   小山書店の初版時と再出版時の所在地、印刷所の会社名、所在地は異なっており、
   戦災による混乱で初版発行後に小山書店か印刷所で滅失したことが十分考えられる。

  『津軽』の戦後最初の発行は、前田出版社(S22/4:太宰存命)で、戦争関連の文言の
   一部削除や改訂をしているが、挿絵は載っていない。
   なお、小山書店の再出版(S23/10)の本文は、ほぼ前田出版社の本文に拠っている。

   翌年(S24/9)、八雲書店が『太宰治全集 第10巻』に収録したが、挿絵は小山書店の
   再出版(S23/10)と同じ4点である。

*.現在、「挿絵」は数種類・・戦争-敗戦-混乱の影響

  現在では、多くの出版社が全集や文庫本などで挿絵を載せた『津軽』を刊行しており、
  また、写真集や展示図録などには個々の挿絵が本文とは関係なく単独で載っている。
  ところが、これらは本文は初版に拠っているものの、挿絵は状況が異なるのである。

  挿絵については、現在も刊行物によって異なるものが入り混じっており、各挿絵ごとに
  数種類がある。戦後の出版界の困惑と混乱の影響だろう。

  戦後80年になるが、『津軽』の挿絵は現在もまだ戦争-敗戦-混乱の歴史を如実に
  反映しているといえよう。

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     *主な参考資料

         ・小澤純著「『津軽』―本文と挿絵の異同が物語る戦中戦後」
          (『太宰治 単行本にたどる検閲の影』(R2/10:秀明大学出版会)所収)

         ・小澤純著「太宰治『津軽』挿絵分類表:『太宰治 単行本にたどる検閲の影』拾遺」
          (「文藝と批評」(第13巻5号:文藝と批評の会:2022/5)所収)   

      
*小山書店発行初版と再出版(改版)の『津軽』の表紙と「津軽図」

初版本 (昭和19年(1944)11月) 再出版本 (改版・昭和23年(1948)10月)
   
 
(38ページ) 原寸 H135㎜×W95㎜
 
(42ページ) 原寸 H122㎜×W84㎜
 

・・両図の相違について・・  両図は似ているが、線の太さや、例えば「三厩」の「厩」、
「津軽図」の「津」、「北海道」など、文字についても微妙な違いが見える。

なお、両書とも、本書中に「挿絵は太宰(著者)自筆」との表示はない。


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          (本項「太宰治著『津軽』の「挿絵」-現在も続く 戦争・敗戦の影響」 :2025/1UP)
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